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生命が「ただ他者があることを許容する存在」であることを希求して、《天冥の標》はその幕を閉じた。
10年にわたって、登場人物たちと一緒に泣いたり笑ったりすくみ上がったりしながら、さまざまに推理や妄想を膨らませて楽しませて貰った物語が、こうして無事に大団円を迎えたことを言祝ぎたい。
《天冥の標》の生命たちは、これからも、「ただ他者があることを許容する存在」として、さまざまな形で関わり合いながら、ただあり続けていくのだろう。
そしてアクリラは、グローバル化して一つの文明圏になるであろうこの次元の宇宙に遍在する唯一の被展開体として、たくさんの生命たちの行く末を永劫に見守っていくことになるのだろうか?
という、感慨深い感想を、残念ながらわたしは抱くことができなかった。
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《天冥の標》のミスチフオムニフロラ以外の知的生命体たちは、オムニフロラが「ただあることを許容」しなかった。
進化を必要としないほどに完成され大成功しているオムニフロラが、有性生殖をしない孤独で不幸な可哀想な生命体だから、魅力的な伴侶をあてがって有性生殖を教えて、自分たちの仲間にしてやろうというのは、有性生殖生命体である人類(とその他の知的生命体)の、傲慢な善意の押しつけに他ならないのではないか。
ミスチフオムニフロラが自分の生態系に都合のいいように他の生命体を取り込んで利用しながら、「絶対に、絶対にどんな種も絶滅させないから。強い力で守っていくから」と自分の正義を主張するのと同様の、迷惑極まりない、余計なお世話の屁理屈でしかないのではないか。
個を大事にするか否かという《天冥の標》の生命体の二つのあり方は、個人と国家の問題のアナロジーでもあるのだろう。
個人が国家に奉仕するためだけにある社会に生きることは、まわりに合わせることの苦手なわたしにとっては、確かに、オムニフロラの生態系に取り込まれて生きるのと同じようにおぞましい。
しかし、オムニフロラとその他の異星生命体連合軍との戦いは、お互いに相容れることのできない異なるタイプの生命体によるニッチの奪い合いであり、何らかの大義名分を掲げて人類という同種内で行われる戦争などの争いごととはまったく別の次元の戦いであるはずだ。
そのとどまるところを知らない旺盛な「繁殖力」の前に、自分たちには苦痛でしかないオムニフロラの生態系に取り込まれることを防ぐための是非もない戦略を、人間社会の価値観からなるまやかしの正義と善意で糊塗する必要はないのではないか。
もしもどうしてもこの戦いに人間的な価値観を持ち込みたいのなら、自分たちの正義を相手に押しつける前に、まずは自分たちが自分たちの人間的な価値観からなる罪の重さに潔く向き合ったその上で、自分たちこそが「ただ他者があることを許容する存在」でありたいと願うべきではないのだろうか。
人間社会における救世群への差別などの問題も、あくまでも人類のもともと持っていた資質によって引き起こされたことであり、オムニフロラの責に帰すべきことではないだろう。
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リリーの語る有性生殖による進化至上論も、なんだか煙に巻かれた感じでモヤモヤする。
無性生殖(栄養生殖)である株分けは繁殖ではないのか?
無性生殖生命体は進化しないのか?
それなら、無性生殖生命体から始まったと思われる、わたしたちの地球の生命の多様性は、どうして起こりえたのだろう?
DNA の組み替えによる固定された種の中での個体間の多様性と、突然変異によって起こる種としての進化が混同されているのではないか?
自分の乏しい知識に照らしてさまざまに思うところがあるのだが、しかし、《天冥の標》を理解したくてネット検索をかけてみると、「Wikipedia」の記述だけを追っても、《天冥の標》が論拠としたのではないかと思われる学説がぞろぞろ出てきて、そのあたりを検証するには生物学関係の勉強のし直しが必要になるようだ。
自分自身の科学的素養のなさが、情けなくも恥ずかしい。
ここに示されたのは、地球人類が地球生命体を対象に考えてきた進化や繁殖の意味や定義そのもののパラダイム・シフトであり、それを語るのがダダーに示唆された異星生命体であるリリーであるというところに意味があるのだろうか?
この論を踏まえた上で、《天冥の標》全体を、もっと深く読み込んでみるべきなのかもしれない。
しかし、あれほど広汎な感染力を持つ冥王斑が、地球生命体の中では人類にしか感染しなかったというのもわからない。
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とにもかくにも、SFのさまざまな要素を貪欲に取り込んで緻密に作り上げられた《天冥の標》が、魅力に溢れる、大きな力を持った作品であることは間違いない。
思考がいささか人間的でありすぎるようにも思われるのだが、奔放な想像力によって創出された、さまざまな異星生命体の様態も素晴らしかった。
エンラエンラが好き(* ̄∇ ̄*)
最後の最後がわたしには合わなかったように思われるのだが、それではこの作品のわたしにとっての心地よい終わり方とはどのようなものなのだろうと、そんなことを当分の間妄想したりして、わたしはまだまだこの物語を楽しむことだろう。
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ところで……、《天冥の標》は半村良の『妖星伝』の逆バージョンと読めるようにも思うのだが、どうだろう?
『妖星伝』は、六道輪廻からの解脱を目指す仏教的世界観をバックボーンに、わたしたちには美しいと思える生命の溢れる地球を、ある意図のもとに進化を強要された生命たちが互いを喰らい合う、地獄の世界に他ならないと断じて、常識を見事にひっくり返した論理を読み手に強引に納得させてくれた。
懐かしいなぁ、『妖星伝』。
もっとも、ずいぶん昔に読んだ記憶があるだけなので、今読み返したらどういう感想を抱くことになるものか……、ちょっと怖かったりもする。
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わたしの身体という生態系の中の大腸菌は幸せなのだろうか不幸せなのだろうか?
ラクトバチルス菌は? ビフィズス菌は?
そして、ミトコンドリアはどうなのだろう?
《天冥の標》8『ジャイアント・アーク PART1』読了(ネタバレ注意)
《天冥の標》オムニフロラはリソースなのか(ネタバレ注意)
《天冥の標》『新世界ハーブC』読了(ネタバレ注意)
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