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2017年04月05日

『ゴジラ幻論 日本産怪獣類の一般と個別の博物誌』(倉谷滋 著)

「いい歳して怪獣の本なんか書いてしまった」と照れながらも筋金入りの怪獣オタクであることを広く喧伝してしまった倉谷滋理学博士による、「怪獣を形態学的、進化発生学的に読み解く」本。
もっとも、「形態学」、「進化発生学」などと言われても何のことやらさっぱりなので、専門的なところまできちんと全部理解できたとは言いがたい。
この本をちゃんと理解するためにはもっと読み込んで、他の書籍にも当たってみるなどしなければならないのだろう。

しかし、さまざまな怪獣の諸形態について、そして、怪獣映画の諸相について、楽しそうに語るその語り口はユーモア感覚に溢れて、学術的なところは難しいが、全体的には読みやすい。

その方面の泰斗から、「形態学」、「進化発生学」という、耳慣れない学問の一端を垣間見させて貰うという贅沢を味わうことができたのも嬉しい。

「ヒューバート・ヴェナブルズ氏へのオマージュとして執筆」された「ゴジラ問題調査委員会中間報告書 牧悟郎博士の日記」は、グロテスクでなかなか怖い。

嵌まってしまったものを擁護したくなって、好きな作品に発見してしまった粗に整合性を持たせるために全力を傾注するという、わたし自身にも共通点のあるオタク精神を極めた、これは極上のオタク本なのである。

*  *  *

で、『シン・ゴジラ』について。

著者の指摘になる、「個体の一生に生ずる変化」を「進化」と称するのは科学用語的には誤りであるという点は押さえておいたほうがいいと思う。
もっとも、正確を期してこれを「変態」と言ってしまうと、著者が山根恭太郎博士(架空)の言葉に仮託して語っているように、「何かこう、ビオランテとゴジラが芦ノ湖で妙な関係になっちゃったように聞こえて仕方がない」ことになってしまうわけで、やはり悩ましいところかもしれない。

ともあれ、そういうところにもきちんと整合性を持たせた、倉谷滋理学博士科学監修による怪獣映画を、是非観てみたいものである。

ちなみにわたしが最初のブルーレイ鑑賞中に、いくら何でもそりゃないよと突っ込みを入れたくなったのは、ゴジラの遺伝子情報が人類の8倍というくだりの、「これでゴジラがこの星で最も進化した生物という事実が確定しました」という台詞(^^ゞ

*  *  *

『ウルトラマン』をこどもっぽいと感じてしまった生意気なガキだったわたしが面白いと思って見た怪獣映画は『ゴジラ(初代)』と『ウルトラQ』くらいのもので、わたしはちっとも怪獣オタクじゃありません。
あと、『ガメラ2 レギオン襲来』は結構好き(^^ゞ


『シン・ゴジラ』――幻想の日本を浸食するゴジラという現実――(ネタバレ注意)
『シン・ゴジラ』特典映像、観ました〜〜っ(^^)v(ネタバレ注意)
posted by 庵主 at 05:05|  , 映画

2017年04月02日

『シン・ゴジラ』特典映像、観ました〜〜っ(^^)v(ネタバレ注意)

ようやく特典映像を一通り見ることができました。
オタク感満載の盛りだくさん、全部見せます的大盤振る舞いを嬉しく堪能。
CG技術は今、凄いことになっているんだねぇ……、吃驚。

というわけで、特典映像を見て感じたことなどを、少し書いておきたいのですが、まだ本編すら数回しか観ていない段階なので、思い違いなどに気がついたら、後日、訂正していきたいと思っています。

*  *  *

特典映像の中で特に気になったのは「未使用テイク」のパート。

未使用テイクのエピソードを完成版の中にはめ込んでみると、『シン・ゴジラ』の印象がずいぶん変わってくる。

未使用テイクでは、一般市民の具体的な個々の死や遺族の嘆きがきちんと描かれて、死者への悼みも深い。
地下に避難した人々をゴジラの炎が襲う、戦慄のシーンもある。
3.11を想起させるエピソードも、完成版よりずっと直截だ。

完成版ではもっぱらシニカルな笑いを取る存在になってしまっている総理も、その真摯な苦悩が描かれて、シリアス。
タバ作戦が失敗して切れちゃう総理の迫真の演技は圧巻。

ゴジラの肉片や体液からクローン増殖が始まる具体的な映像があり、ゴジラの大量の体液が町に溢れることによる惨害の描写(「VFXメイキング」)もあって、完成版よりもグロテスク味が強く、喚起される恐怖感もより強い。

意図的に除かれたと思われるこうしたテイクが完成版で使われていたら、『シン・ゴジラ』をあんなに楽しく面白い映画として観ることはできなかったかもしれない。

「血も出てこないですし、こどもが泣き叫ぶシーンなんかもないですし、バイオレンスなシーンが続くわけでもないじゃないですか。
だから女性の方も若い方も観て欲しいですし、できれば中高生を中心とした学生のみなさんにも、先生の課外授業での一つの作品にして欲しい」


という、初日舞台挨拶の石川さとみの言葉は、心地よい怪獣映画として『シン・ゴジラ』を提供することで、より多くの人々にこの作品を届けようとした、製作サイドの狙いを端的に語っているように思われる。

こうして、シビアな描写が薄められたと感じられる完成版だが、終盤のイメージは反対に、未使用テイクを挿入した場合よりもシビアなものになっている。
安堵の思いをもたらしたであろう、ゴジラ凍結後の市井の人々を描いたシーンが少なくなった分、先の見えない不穏な空気が際だって、異様な違和感が醸し出されていく。

そしてそれでも観客が、「この国はまだまだやれる」との思いを胸に鑑賞を終えようとするまさにそのとき、ゴジラの尻尾の衝撃の映像が、この居心地のよかった作品世界に亀裂を入れる。

初日舞台挨拶に映像で参加した野村萬斎の言葉が示唆的だ。

「シン・ゴジラ、神なのか、罪(SIN)を負うものなのか、罪を責めるものなのか」

*  *  *

未使用テイクに登場する、リュックに入れられて避難する猫と、避難先で車中泊する飼い主に抱かれた犬が、それぞれ不安そうな表情と動きできちんと演技しているように見えて感心した。

この犬は、やはり未使用になったゴジラ凍結後の安堵の場面では、打って変わった嬉しそうな表情を見せている。

猫は、完成版の体育館で、キャリーバックに入れられて一瞬だけ登場するのと同じ個体だと思われるけど、あの警戒感たっぷりの鋭い目つきも、らしくてよかった。
怖かったのかな?


『シン・ゴジラ』――幻想の日本を浸食するゴジラという現実――(ネタバレ注意)
『ゴジラ幻論 日本産怪獣類の一般と個別の博物誌』(倉谷滋 著)
posted by 庵主 at 05:58| 映画
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