この映画に関しては、既にものすごくたくさんの評が出ているようで今更なのだが、衝撃が大きかったので、一応、ほとんど初見の段階でのわたしの所感を書いておく。
まだ特典映像などは観ておらず、たくさん出ている関連本も読んでいない状態です。
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非常に素晴らしい作り込みで徹底的にリアルに表現された、よくできた楽しい正統派の怪獣映画で、大ヒットした理由がよくわかる。
ゴジラの造形は異様で怖いけど、これも大好きな怖い初代ゴジラを彷彿させて嬉しく、1954年版『ゴジラ』その他の怪獣映画へのオマージュとしてもよくできていて楽しい。
でも、ストレートすぎてちょっと物足りないかなぁ……なんて思って観ていたわたしは、ラストのゴジラの尻尾に吃驚仰天。
なるほどこれは凄いと納得した次第。
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映画はほぼ全編にわたって、現実に即した人間社会の醜さをほとんど描かず、それぞれにまともでまじめなたくさんの人たちが、日本のために心を一つに力を合わせて怪獣をやっつけ、明るい未来を目指す姿を描く。
そのために命を落とすことになる局面が出てきても、その一つ一つの死はさらりと軽く描かれて嘆き悲しむ遺族の姿もないため、人々に心の傷を残すことはない。
そして、素晴らしい国である日本は世界中に好かれて、世界は日本を応援してくれる。
これは現在の日本人の多くが憧れ、こうあれかしと願う、非常に心地よくわかりやすい、幻想の日本像であると思われる。
しかし、この幻想の日本では、日本人の絆の輪の中に入ることのできない、規格外の異端は許されない。
世界は日本とごく少数の欧米先進国とロシアと中国だけでできていて、そこには、訳のわからない面倒な要素が入り込む余地はない。
異端や訳のわからない面倒な現実をすべてゴジラの中に封じ込めてしまって見えないものにすることで、この映画の幻想の日本は成り立っている。
しかしこの映画には、幻想の日本に違和感を抱いて異端となった人物がひとりだけ描かれる。
牧悟郎元教授である。
映画に直接登場することのないままキーマンとしての役割を果たす牧悟郎元教授は、幻想の日本には不都合な存在として見えなくされてしまった者たちの代表であると思われる。
異端となった牧悟郎元教授は多分ゴジラの中にいるのだろう。
そして、牧悟郎教授を取り込んだゴジラは、幻想の日本を崩壊させるために、日本の首都を目指したのではないか。
ラストの映像に姿を現す、人間型を始めとするたくさんの小さいゴジラ様のものが第5形態ゴジラだとすると、ゴジラが覚醒して第5形態ゴジラがうじゃうじゃと無数に解き放たれる時、居心地の良い幻想の日本は終焉の日を迎え、混沌を極める現実のわたしたちの苦難に満ちたおぞましい世界が現出することになるのだろう。
もっとも、無生殖による個体増殖の可能性が示唆されているところから鑑みて、ゴジラが落とした肉片や体液を通して、あの幻想の日本への現実の侵食は既に着々と進行しつつあるようにも思われる。
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わたしは、牧悟郎教授は、自分の遺伝情報をゴジラの中に取り込ませることでゴジラに同化したのだろうと思っています……今のところ。
でも、それで意志とか想いとかまで取り込ませることができるかというと……、科学的にはあり得ないだろうなぁ。
無人在来線爆弾は楽しかった。
つい、「山手線、頑張れっ!!」って思ってしまいました(^^ゞ
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なおこれは、受け取る人それぞれに即したそれぞれの解釈があるだろうこの映画の、わたし個人の解釈に過ぎないことをお断りしておきます。
つくづく考えさせられるこの映画には、多分、見る人の数と同じ、それぞれに異なる解釈があるんじゃないかと思っています。
わたし自身、何回か観ているうちに考えが変わってくるかもしれません。
3月27日追記 : 見直し中に、「対馬沖付近に不穏な動き」という台詞があることに気がついた。
『シン・ゴジラ』特典映像、観ました〜〜っ(^^)v(ネタバレ注意)
『ゴジラ幻論 日本産怪獣類の一般と個別の博物誌』(倉谷滋 著)