第3章 変形する過去・未来 変形する過去〈外国編〉

THE BROKEN SWORD by Paul Anderson

折れた魔剣

ポール・アンダースン


あやなす運命の糸に翻弄される
妖精の取り替えっ子

呪いをかけられたヴァイキング

剣を持つ男・イラストデーン人の郷士の五男オルムは、自分の運を切り開くため、ヴァイキング船を仕立てて故郷のユトランド半島を後にした。
さんざんイングランドを荒らし回ったすえに、その地にあるデーンローに居を構えようとしたオルムは、土地を得るため地主の一家を皆殺しにしてしまう。
このとき、ただ一人見逃された一家の母親は、オルムに復讐すべく、彼に呪(のろ)いをかける。
「オルムの長子が人間世界のかなたで育てられ、いっぽうオルムが将来彼を八ツ裂きにするであろう狼を育てる」──と。

やがてその土地の強力な首長と見做されるようになったオルムは、イングランドの州長の娘イールフリーダと結婚し、彼女はオルムとの間に男の子を生んだ。
このときエルフ(妖精の種族)の大守イムリックは、森の魔女にそそのかされてオルムのこどもをさらい、自分とトロール(巨人の種族)の女奴隷との間に儲けた子供を代わりに置いてきた。
魔女はオルムに呪いをかけたあの母親だったのである。

オルムのこどもはスカフロクと名づけられ、イムリックの妹リーアの手に委ねられて、仙境のアルフハイムで幸せに育つ。
一方、オルムのもとにある妖精の取り換えっ子はヴァルガルドと名づけられ、乱暴で孤独な若者に育った。
二人はまったく同じ顔立ちと姿を持っていた。

やがてスカフロクは、妖精王(アールキング)によってエルフのなかに身を置くことを正式に認められ、エルフの仇敵であるトロール族との戦いに身を投じる。
ヴァルガルドは、その血のゆえに、凶暴な衝動につき動かされてオルムの一族を皆殺しにし、義理の妹二人をさらって、トロールの戦列に加わるためにトロールハイムを目指す。
あの魔女によって、自分がオルムの本当の息子ではなく、妖精の取り替えっ子であると知らされたことが引き金になったのである。

光と影の二人の男の大いなる悲劇

それとは知らず、実の妹フリーダと愛し合うようになるスカフロク。
人間的な良心と、その暗い本性の間で苦しむヴァルガルド。
アサ神族の主神オーディンの思惑の動くなか、エルフとトロールの戦いを背景に、スカフロクとヴァルガルドの運命は絡まり合い、大いなる悲劇に向かって突き進んでいく。


ヴァルガルドの悩みと苦しみ

北欧神話、ケルト神話、キリスト教と、さまざまな神話、宗教の神々が入り乱れ、そのなかであやなす運命の糸に翻弄されるものたちの悲劇を描く、暗い調子の骨太なファンタジーです。

スカフロクの替え玉としての価値、スカフロクの影としての価値しか持たずにこの世に生まれさせられて、内なる衝動につき動かされて次々と残虐な行動に走ってしまうヴァルガルド。
彼の悩みと苦しみが胸に迫り、凄まじい悪行の数々にもかかわらず、彼を憎むことができません。
彼が人間としての良心とまったく無関係でいられたならば、彼はただの悪人にすぎなかったのでしょう。
けれど、ヴァルガルドは、彼がそのなかに育った人間たちの感化を受けて、人間的な良心をもその心に持ち合わせてしまっているのです。
エルフとトロールの血を受けて人間の世界に育つという、本来の自分の居場所を持たないヴァルガルドの苛立ちが、共感をもって読者の心に伝わってきます。

健全な正統派の英雄スカフロク

仙境の夢のように華麗な世界に育ったスカフロクは、精神的にも肉体的にも非常に健全な正統派の英雄です。
ただ、エルフのなかで彼がいくら幸せであったとしても、彼もまた、あるべきところから引き離されて、不自然な場所に置かれた悲劇を背負ってしまっていることに変わりはありません。
彼の悲劇は、トロール族の王に捧げるためにヴァルガルドがさらってきた実の妹のフリーダを助け、深い愛によって彼女と結ばれることから始まりますが、これも結局は、自分のまわりにいた冷たい血のエルフの女にはない、自分と同じ熱い血に引かれてのことでした。
彼が人間たちのなかで育ち、熱い血を持つ人間の女たちをたくさん知っていたならば、この悲劇は避けられたかも知れないのです。

題名になっている“折れた魔剣”というのは、オーディンがスカフロクに与えた“テュルフィング”という名の剣のことで、オーディンはこれを再び鍛え直して、アサ神族の敵である巨人族と通じているトロールを駆逐するのに使わせようとしたのです。
この剣は、いったん抜いたら相手を殺さずには済まないという魔剣であり、このためスカフロクは殺さなくてもいい相手まで殺さなければならないことになります。
こうして彼は、更なる悲劇のなかに追い落とされていくのです。

日本の鬼も登場

エルフとトロールの戦いは、バイカルのデモン族、中国のシェン族、ムーアの砂漠の小鬼(インブ)族に加えて、日本の鬼までが刀を持ってトロールに力を貸すために駆けつけるというのが、ちょっとこそばゆくて嬉しいところです。
現在でこそ、日本神話や日本をモデルにしたファンタジーが西洋世界でも書かれるようになっていますが、『折れた魔剣』が出版されたのが1945年、翻訳が出たのも1974年ということで、当時としては、日本の伝承世界が西洋のこうした小説に登場してくるのはまだ珍しいことでした。

また、1945年というのは、西欧世界において、ファンタジーをおとなの読み物として再確認させた《指輪物語》の最初の『旅の仲間』『二つの塔』が上梓された(日本語訳初版は『旅の仲間』が1972年、『二つの塔』が1973年)のと同じ年でもあります。
《指輪物語》以後のファンタジーブームのなかで書かれた数多くの傑作と比べても、決して見劣りのするような作品ではありません。
もっと後(あと)の時代に、今はやりに分厚い三部作の形ででも出版されていれば、ベストセラーになっていたかもしれません。
ちょっと早すぎたおとな向けのファンタジーというところでしょうか。

海神マナナン・マク・リル

スカフロフとともに、テュルフィングを鍛え直すため巨人族の国に乗りり込む、友情厚いダヌー神族の海神マナナン・マク・リルが素敵です。
本筋は関係のないところで私は彼を気に入っています。


『折れた魔剣』  THE BROKEN SWORD by Paul Anderson, Translated by Sekiguchi Yukio   ポール・アンダースン 著  関口幸男 訳  1974年7月31日  早川文庫

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