オーストリアのスチリアの城に父と暮らすイギリス人令嬢。
彼女の父は、この地を通りかかった謎の貴婦人から、病弱な娘カーミラを預かることになった。
片田舎の城で、召使いたちに囲まれているとはいえ、同じ身分の友達を持たず、寂しく暮らしていた令嬢は、美しく洗練されてたいそう淑やかなカーミラと急速に親しくなっていく。
しかし、カーミラは不思議な少女であった。
夜は自室に鍵を掛けて誰も寄せつけず、病弱のせいか、朝は午後1時頃になるまで起きてこない。
キリスト教の厳粛な儀式を神経症のように嫌って、神に祈りを捧げない。
そして彼女は、殿方のように振る舞って、妖(あや)しく令嬢に愛の告白をするのである。
ときを同じくして、近隣の村には奇妙な病気がはやり、若い娘が次々に命を落としていく。
令嬢もまた、喉を何かにぐさりと刺される夢を見てから、不思議な気欝(きうつ)の病に取りつかれるのであった。
美しい少女の姿をした吸血鬼カーミラに狙われた令嬢が語る、レズビアンの匂いの濃厚な、エロティックな中編小説です。
あくまで高雅で美しい文章が、嫌味のない語り口で、恐怖の物語を語ります。
とはいえこれは、どちらかといえば、恐怖より妖しいエロスを感じさせる作品です。
カーミラを始めとして、吸血鬼というのは、なんとも魅惑的な化けものです。
吸血という行為そのものが、非常にエロティックでSMティックな観念を刺激する上、そのことによって、人間の羨望してやまない永遠の命がもたらされるという設定は、危険な魅惑を吸血鬼に与えます。
さらに吸血鬼には、強大な力を持ちながら、常に敗者であることを決定づけるべく、たくさんの弱点が用意されていて、敗者への共感、ロマンティックな感傷を誘うのです。
吸血鬼の弱点のなかで、十字架に弱いというのは、キリスト教徒ではない者にとってはなんとも間が抜けて感じられますし、ニンニクに弱いというのも滑稽です。
けれどなんと言っても、陽の光にあたると死んでしまうという特質は、決して表の世界には出てこられないものの悲哀を感じさせて、吸血鬼の魅力をいや増しにしてくれます。
直接的にも比喩的にも、彼らは文字通りの“日陰者”なのです。
近世の西欧が発見した、この闇の一大ヒーローを扱った作品は、それこそ星の数ほどあるのではないかと思えます。
思いつくまま、印象に残っている作品をもう少し紹介してみましょう。
トランシルヴァニアのドラキュラ城からイギリスにやってきたドラキュラ伯爵にまつわる恐ろしい怪異。
吸血鬼の毒牙に狙われる歳若い夫人を救うために立ち上がるアムステルダム大学の名誉教授ヴァン・ヘルシング。
吸血鬼といえばドラキュラ、ドラキュラといえば吸血鬼というくらい、映画その他で、あまりにも有名となってしまっている吸血鬼小説ですが、この作品を小説の形できちんと読んだ方は、あまり多くはないのではないかと思われます。
吸血鬼のイメージの基本を確立した記念すべき作品ですが、事件に関わったさまざまな人間の書いた書簡で綴るという形を取っているため、スムーズにお話の流れを追うというわけにはいきません。
私には非常に読み辛い小説なのですが、それでも一つの傑作には違いありませんので、お話の種には一興かと思われます。
吸血鬼の熱烈な愛好家である種村季弘が編んだ、吸血鬼小説の傑作短編集です。
編者自身の手によるあとがきに、「失われた信仰は、現実の神通力を失ったために、その拘束力のない白紙の上に黒いロマン派や世紀末趣味やシュルレアリスムやポップ文学や、ありとあらゆる時代様式が自由に創意をくりひろげることができる場となったのだ」とあるように、さまざまな文学様式による吸血鬼文学の精髄をここに見ることができます。
未来の地球、吸血鬼によって世界が支配された過去があり、その支配がようやくにして終わりを遂げた時代に生きる、吸血鬼と人間の混血青年“D”のシリーズです。
吸血鬼狩りを業とする絶世の美青年“D”の造形が、非常に魅力的です。
吸血鬼と人間の混血児はダンピールと呼ばれ、彼らには吸血鬼を退治する力が備わっています。
人間は、吸血鬼を退治するためにダンピールの力を必要とするのですが、彼らは、その血の半分を占める吸血鬼の本性に支配されて、人間を襲うことがままあるのです。
そのため、“D”もまた、人間のために命を賭けて戦いながら、その人間に疏(うと)まれてさすらい続けなければなりません。
著者の菊地秀行は、他の作品にもいろいろなタイプの吸血鬼を登場させています。
別のところで紹介する《魔界都市ブルース》のシリーズ、『夜叉鬼伝』でも、西洋産の吸血鬼とはひと味もふた味も違う中国産の吸血鬼を魅力的に描いています。
ちょっとした不便を忍ぶだけで、食費はただで、不老不死。
ほんの少し考え方を変えてみれば、吸血鬼になるって、とっても便利、という発想の、まったく悲壮感のない楽しいお話です。
けれども、みんなが吸血鬼になってしまったら、やっぱりいろいろ困った問題が……。
最後はなかなかホラーです。
若くて美しい乙女をさらっては、血と魂を抜き取って自分の花嫁とする吸血鬼ダークエンジェル。
エイリエルをさらったダークエンジェルは、けれども、世にも美しい青年でした。
彼の花嫁になることを覚悟したエイリエルでしたが、吸血鬼は嘲笑って言ったのです。
「おまえは私の花嫁となるには醜すぎる。おまえは私の花嫁たちの侍女にするためにさらってきたのだ」と──。
助かったのは嬉しいけれど、それはあんまりなんじゃありません?
みずからの意志で吸血鬼を愛するようになった少女が、全身全霊を懸けて彼を救おうとする感動的な物語です。
幸せなハッピーエンドで終わる楽しいおとぎ話の世界です。
なんともバラエティに富んだ数々の作品が、吸血鬼を素材として書かれています。
吸血鬼というのは、どう扱ってもそれなりに様になる、希有な素材なのかもしれません。
かく言う私も、吸血鬼の魅力に取り憑かれて、吸血鬼を扱った作品というだけでつい手を出してしまう一人です。
こうした吸血鬼にかんする随筆、研究書の類もまた随分たくさん出版されているようですが、吸血鬼に関してもう少し詳しく知りたい方のための足掛りとしては、
種村季弘の『吸血鬼幻想』をお薦めします。
これは、『ドラキュラドラキュラ』の編者が綴る、吸血鬼に関する種々の考察をまとめたものです。
伝承から、歴史、小説、映画に至るまで、無数の素材を駆使して、著者は吸血鬼の魅力をさまざまな角度から語ります。
収録されている意味深な吸血鬼詩が、象徴的です。
ほかにも、世界中の人間が吸血鬼になってしまった世界で、ただ一人、吸血鬼にならずに取り残されて吸血鬼と戦う主人公の孤独と、その結末の悲劇には、捨てがたい味のある
『地球最後の男』、なかに収められている、実際に存在した吸血殺人鬼ジョン・ヘイグによって、死刑執行の直前に書かれた手記のど迫力が衝撃的な 《怪奇と幻想》『第1巻・吸血鬼と魔女』など、まことに惜しい作品が現在入手困難な状態にあります。
古本屋等で見かけたら、是非手に取ってみてください。