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2015年04月20日

岩波文庫『風と共に去りぬ』荒このみ 訳

『風と共に去りぬ』岩波文庫版(荒このみ 訳)の第1巻を入手して読み始めたが、抵抗感なくすんなり読めて安心。
こちらの日本語がわたしには合っているようなので、新潮文庫ではなく、岩波文庫で新訳版は揃えるつもり。
岩波文庫版はまた、丁寧な訳注と示唆に富んだ訳者解説が、『風と共に去りぬ』を読み込む上での大きな助けとなってくれて嬉しい。

*  *  *

旧訳版と新訳版2種を読み比べると、ところどころ、微妙に意味が違っていたり、時には正反対の意味に訳されているところなんかもあって、おもしろい。

「おそらく、一ばんいいのは転地でしょうな」と先生は言った。ただ先生は、思わしくない患者を自分の監督外に手ばなすのが、いささか気がかりのようであった。(大久保康雄・竹内道之助 訳)

「そうですな、転地療養が最良の方法でしょうな」と先生は、回復のかんばしくない患者を遠ざけたい一心で答えた。(荒このみ 訳)

「娘さんには転地療養が何よりの薬でしょうな」医者は思わしくない患者から早く逃げ出したくて、とりあえずそう答えた。(鴻巣友季子 訳)

多分、大久保康雄・竹内道之助訳が誤訳だったのだろうとは思うけど、こうなると、原本にも当たってみたくなってしまう。
でも、そこまでやり始めると泥沼になりそうなので、とりあえず、パス。

*  *  *

プリシー登場のシーンは、荒このみ訳では、

「何事も見のがさぬ鋭い目をしていたが、わざとぼんくらの振りをしていた」「こざかしい小娘」

となっている。

こんなふうに読み比べをしていたら、なんだか、プリシーとスカーレットには相似の部分が多いように思われてきた。

プリシーが頭がいいのに愚鈍を装うように、スカーレットもまた、頭のいいことを隠して振る舞うことで、男たちに好かれる自分を作っている。

なかでも一ばん重要なのは、子どものように美しいあどけない顔のしたに、いかにして男たちに気づかれないように、その鋭い頭のはたらきをかくすかということを学んだことだった。(大久保康雄・竹内道之助 訳)

なかでも一番得意だったのは、赤ん坊みたいに純粋無垢な、かわいい顔の中に潜んだ鋭い知性を巧みに隠す技だった。(荒このみ 訳)

なによりしっかりと学んだのは、その明敏な知性を男性にさとられぬよう、赤子みたいに愛らしく柔和な顔の下に隠しておくことだった。(鴻巣友季子 訳)

それぞれに異質な文化を持った、貧しいアイルランド人とフランス系の上流階級の血を引いて生まれたスカーレットと、黒人とインディアンの血を引いて生まれたプリシー。

スカーレットには、自らを厳しく律するエレンという偉大なレディの母がいて、プリシーには奴隷でありながらも誇り高く自分を律する、ディルシーという偉大な母がいる。

そして、彼女たちにはそれぞれ、妻に守られながら自分はそのことに気がつかない、いささか無邪気な父がいる……。

*  *  *

うーん、やっぱり新潮文庫の新訳版も全巻揃えて、読み比べてみた方がいいかなぁ。
posted by 庵主 at 02:59|

2015年04月12日

藤井太洋『アンダーグラウンド・マーケット』(ネタバレ注意)

今回は現実に即したちっとも明るくない近未来、それも、かなり正鵠を得ていると感じられる近未来を描いているのだけれど、健康で才ある元気な若者たちが前向きに生きていこうとする物語なので、楽しく読めて読後感も爽やか。

ただ翻って、そういう世界をこれから自分が生きていかなければいけないのかと考えると暗澹たるものがある。

*  *  *

国家からの庇護を諦めるかわりに国家からの束縛を逃れて生きようとしたときに待っているのが、
「ソーシャルネットワークで互いに繋がってる」「まるで、全員が顔見知りの田舎みたいな」「現代に蘇ったでっかいムラ社会」
だというのも怖いなぁ。

顔の見えない運営者の恣意によって支配されるこの村にすむ村人には、選挙というせめてもの意思表示の手段すらないのである。

*  *  *

ところで……、主人公の年齢から考えるに、その両親はまだ現役世代ではないかと思うのだが、、その年齢で終身ホームになんかに入れるのだろうか? という疑問符が……。
現実に現在の日本で、その年齢で老人ホームに入ろうとすると、ものすごくお金がかかってしまうはずで、いくら、金融機関の紹介でも、そんなに条件のいいホームがあるとは思えない。
よしんばその点をクリアしたとしても、これからまだまだ先は長いはずなので、ホーム経営が破綻するとか、入居費用が上がってしまうとかでホームにいられなくなる公算大なのではないか、あるいは、低費老人ホームでの老人虐待なんて事態も想定されて、もう一波乱どころか、二波乱も三波乱もあるんじゃないか? などと、現実の高齢者問題に絡めて、いらぬ心配をしてしまったのでありました。

*  *  *

ともあれ、このシリーズは電子書籍の方では続編がすでに出ているようなので、次巻刊行を楽しみにしています。
……今のところ、わたしまだ、電子書籍には手を出してません(^^ゞ
posted by 庵主 at 04:02|

2015年04月04日

『風と共に去りぬ』旧訳版は?

しかし、大久保康雄・竹内道之助訳の『風と共に去りぬ』はもう新書での入手はできないのかなぁ。
久しぶりに引っ張り出してきた河出書房の『風と共に去りぬ』は、何度も読んだため、バラバラになってしまっている状態なので、できれば買い直したいと思っているのだけれど……。

読み比べてみると、やっぱり大久保康雄・竹内道之助訳のほうが、鴻巣友季子訳よりもわたしには合っているように思われるので残念です。

『風と共に去りぬ』はこの後、岩波文庫版の新訳が控えているので、こちらも購入予定です。
こちらの翻訳はどんな感じになるんだろう?
posted by 庵主 at 06:09|

2015年04月03日

『風と共に去りぬ(新訳版)』 黒人奴隷プリシーは利口な娘だったのか?

『風と共に去りぬ』(マーガレット・ミッチェル著)の新訳版(鴻巣友季子訳 新潮文庫)が出たので、既刊の第1巻と第2巻を購入した。
で、旧訳版(大久保康雄・竹内道之助訳 河出書房ポケット版世界の文学シリーズ)も引っ張り出してきて、所々読み比べてみたりしながら、読み始めたところなのだが、黒人奴隷のプリシーが、最初、

「何ものをも見のがさぬような鋭い抜けめのない目をしているが、顔には、わざとらしい、のろまな表情をうかべていた」「はしこい子」(旧訳)、
「なにも見逃さない利口そうな鋭い目をしていたが、わざとマヌケそうな表情を浮かべている」「利口な娘」(新訳)

としてこの小説に登場したことに気づいて愕然とした。

わたしはずっと『風と共に去りぬ』を主人公目線で読んでいた上、アトランタ脱出前後のプリシーの印象が強烈で、スカーレットやメラニーの苦境の時に、足を引っ張り、邪魔ばかりしている彼女を、自分勝手で見栄っ張りで愚鈍な嫌な子だとばかり思っていた。
しかし、考えてみれば、彼女は奴隷なのである。
彼女を所有するご主人様に忠誠を尽くす義理など、はなからかけらもありはしない。
黒人奴隷であるプリシーは、スカーレットやメラニーたち、白人のご主人様たちの苦境を、内心、いい気味だと思っていてもおかしくはない……、むしろ、そのほうが人間として自然な感情なのではないか。

モラルのことをいうのなら、奴隷制度そのものが、恐ろしくモラルに反した制度なのである。

南北戦争以前の確固とした奴隷制度の中で、奴隷として生まれ育ったプリシーの両親にとっては、主人としてはましな部類の主人公の家庭に精一杯忠実に、身を粉にして仕えることが、奴隷としては精一杯に幸福な人生を送るための処世術だったのかもしれないが、奴隷制度が揺らごうとしている南北戦争前後に生を受けて生きるプリシーの処世術は、利口な自分を隠して愚鈍に振る舞うことで、出来る限り楽をして、自分を守ることだったとしたら……。

『風と共に去りぬ』の中に描かれる白人の奴隷所有者と黒人奴隷の関係は、おおむね、良き飼い主と忠実な犬のように描かれているが、プリシーだけはちょっと異彩を放つ存在だ。
犬だって、頭の良い個体は、飼い主の性格を見極めて、サボることを覚えてしまったりもする。
ましてや、プリシーは人間なのである。

スカーレットが南北戦争後のすっかり変わってしまった世界で、「お母さんから教わったことは、なんの役にも立ちはしない! なに一つ!」「ああ、お母さん、あなたは間違っていらしったわ!」(旧訳)と考えたように、プリシーもまた「母ちゃんは間違っている!」と考えていたのかもしれない。

『風と共に去りぬ』には他に、プリシーが実は頭のいい娘であったことを記す文言はない――今後、読み進むうちに見つけるかもしれないが。
だから、著者がどこまで意図的に、プリシーの初登場のシーンをこのように書き綴ったかの真意は謎だが、プリシーについては、今後、ちょっと見方を変えて読んでみようと思っている。

*  *  *

ところで私の持っている旧訳版の『風と共に去りぬ』(昭和42年5月31日初版発行)は、第1巻が特価200円(定価280円)、第2巻が特価200円(定価280円)、第3巻が特価250円(定価280円)というわけで、5分冊の新訳版1冊分の価格710円(税抜き)で、当時は『風と共に去りぬ』全3巻が買えてしまった勘定である。
お金の価値はこんなに下がってしまったのだなぁと、改めて実感した次第。
posted by 庵主 at 19:27|
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