こちらの日本語がわたしには合っているようなので、新潮文庫ではなく、岩波文庫で新訳版は揃えるつもり。
岩波文庫版はまた、丁寧な訳注と示唆に富んだ訳者解説が、『風と共に去りぬ』を読み込む上での大きな助けとなってくれて嬉しい。
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旧訳版と新訳版2種を読み比べると、ところどころ、微妙に意味が違っていたり、時には正反対の意味に訳されているところなんかもあって、おもしろい。
「おそらく、一ばんいいのは転地でしょうな」と先生は言った。ただ先生は、思わしくない患者を自分の監督外に手ばなすのが、いささか気がかりのようであった。(大久保康雄・竹内道之助 訳)
「そうですな、転地療養が最良の方法でしょうな」と先生は、回復のかんばしくない患者を遠ざけたい一心で答えた。(荒このみ 訳)
「娘さんには転地療養が何よりの薬でしょうな」医者は思わしくない患者から早く逃げ出したくて、とりあえずそう答えた。(鴻巣友季子 訳)
多分、大久保康雄・竹内道之助訳が誤訳だったのだろうとは思うけど、こうなると、原本にも当たってみたくなってしまう。
でも、そこまでやり始めると泥沼になりそうなので、とりあえず、パス。
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プリシー登場のシーンは、荒このみ訳では、
「何事も見のがさぬ鋭い目をしていたが、わざとぼんくらの振りをしていた」「こざかしい小娘」
となっている。
こんなふうに読み比べをしていたら、なんだか、プリシーとスカーレットには相似の部分が多いように思われてきた。
プリシーが頭がいいのに愚鈍を装うように、スカーレットもまた、頭のいいことを隠して振る舞うことで、男たちに好かれる自分を作っている。
なかでも一ばん重要なのは、子どものように美しいあどけない顔のしたに、いかにして男たちに気づかれないように、その鋭い頭のはたらきをかくすかということを学んだことだった。(大久保康雄・竹内道之助 訳)
なかでも一番得意だったのは、赤ん坊みたいに純粋無垢な、かわいい顔の中に潜んだ鋭い知性を巧みに隠す技だった。(荒このみ 訳)
なによりしっかりと学んだのは、その明敏な知性を男性にさとられぬよう、赤子みたいに愛らしく柔和な顔の下に隠しておくことだった。(鴻巣友季子 訳)
それぞれに異質な文化を持った、貧しいアイルランド人とフランス系の上流階級の血を引いて生まれたスカーレットと、黒人とインディアンの血を引いて生まれたプリシー。
スカーレットには、自らを厳しく律するエレンという偉大なレディの母がいて、プリシーには奴隷でありながらも誇り高く自分を律する、ディルシーという偉大な母がいる。
そして、彼女たちにはそれぞれ、妻に守られながら自分はそのことに気がつかない、いささか無邪気な父がいる……。
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うーん、やっぱり新潮文庫の新訳版も全巻揃えて、読み比べてみた方がいいかなぁ。