私たちが“イギリス”として認識している国は、正式には“グレートブリテン及び北アイルランド連合王国”といい、“イングランド”“ウェールズ”“スコットランド”“北アイルランド”の4つの国によって構成されています。
現在これらの国には、有史以前から順次流入してきたさまざまな民族が混合して暮らしています。
このため、一概に決めつけることはできないのですが、大きく分類すると、“イングランド”はアングロ・サクソン人の国、他はケルト人の国ということになります。
そして、“ウェールズ”“スコットランド”“北アイルランド”のケルト人は、同じケルト人といっても、必ずしも同じ文化や言語を共有しているわけではありません。
ゲルマン系のアングロ・サクソン人は、“イギリス”に大量に流入してきた民族としてはいちばん最後のものです。
アングロ・サクソン人の前に“イギリス”に大挙して流入し、先住の民族を征服し、ここに住みついていたのがケルト人です。
アングロ・サクソン人は、まず“イングランド”を征服して、そこに住んでいたケルト人を追い散らし、あるいは奴隷にするなどしてこの地に支配を確立しました。
この後“イングランド”は、北方のゲルマン系民族ヴァイキング(デーン人)による侵冦を受け、ひとときヴァイキングの支配下に入ります。
そして、再びアングロ・サクソン人のものとなった“イングランド”を、今度はフランスから侵入したやはりゲルマン系のノルマン人が征服します。
もっともこのときは、アングロ・サクソン人のときのように、“イングランド”の民族地図を完全に塗り替えるほどの人口の流入はありませんでした。
“イングランド”のアングロ・サクソン人とノルマン人、“イングランド”に住み着いたヴァイキング――そして“イングランド”に残ったケルト人も――は次第に混血し、融合していきます。
さて、ノルマン人の支配下に入った“イングランド”は、その後勢力の拡張を続け、“イングランド”が、“アイルランド”全土を含む周囲のケルト人の国々を征服したり併合したりして成立したのが、いわゆる“イギリス”という国なのです。
ですから、この連合の形は、そもそもの成り立ちからして“イングランド”がほかの国々よりも優位に立つもので、特に、これらの国に住んでいたケルト人にとっては決して納得できるものではありませんでした。
“イングランド”の支配も穏やかなものとはいえず、過酷な迫害や収奪が繰り返されました。
こうして“イギリス”は、その内部に、現在でもなおさまざまな問題を抱えることになったのです。
さらに、民族の対立や国と国との対立の上にかぶさったキリスト教のいろいろな宗派の対立は、問題をいっそう複雑なものにしています。
こうしたなかで、“アイルランド”は“北アイルランド”と“アイルランド共和国”に分裂したうえで、1949年、“アイルランド共和国”は完全に“イギリス”から独立しました。
ただし、二つに分裂して、北アイルランドが独立できなかったことは大きな問題を残し、時々ニュースを騒がせるテロ事件などの原因になっています。
ケルト関係の伝承文芸の収集者であるW・B・イエイツやジェイムズ・マクファソンはもちろんのこと、C・S・ルイス、オスカー・ワイルドなども“イギリス”(またはもと“イギリス”)のケルト人です。
ヒュー・ロフティングも、半分ケルトの血が混じっています。