バビロニアの主神マルドゥークが神々にそれぞれの役割をあてがったとき、神々はマルドゥークに文句を言った。
「自分たちが仕事をする間、誰がわたしたちの家事を見たり食事の世話をしてくれるのか」、と。
そのためマルドゥークは、彼の軍との戦いで敗れたティアマトの軍の指導者であるキングーという神を殺して、その骨と血を使い、その役に就くものを創り上げた。
私たち人間はこうして創られたのである。
知恵の神エアが戯れに作った人間アダパ。
彼は神のように賢かったため、神々によって神と同等のものであると認められ、不死の食べ物と飲み物を与えられることになる。
ところが、これを快く思わないエアの言葉を信じて、それらを飲み食いすることを断ったため、アダパは神になることができなかった。
エアは自分の下働きを失うことを望まなかったのである。
ある時、地上に実りをもたらす神テリピヌが、人間たちに腹を立てて姿を隠してしまったため、世界からあらゆる実りがなくなってしまった。
獣どもが死に、穀物が実らないと、困るのは人間だけではない。
神々もまた、供物を受けられなくては生きていくことができないのである。
狼狽した神々は、何とかしてテリピヌを見つけ出し、地上に実りを復活させようと知恵を絞るのだった。
『世界最古の物語』に収められた数々の物語は皆、今から数千年もの昔、バビロニア人やアッシリア人、ハッティ人、カナアン人といった人々(メソポタミア、小アジア、パレスチナ、シリアなどの地に住んでいた)によって、粘土板に楔形文字で記されたものです。
それは、ちょっと想像もできない遥かな昔です。
これだけの膨大な時間の彼方に生きた人間は、現代の人間とは随分違っていたのではないかと思いきや、物語からうかがえるのは、今とちっとも変わらない人間たちの姿です。
登場する人間たちは、私たちと同じように悩み、恋をし、友情を育み、お金儲けに励みます。
それは奇妙に思えると同時に、たいそう感動的なことでもあります。
これらの物語を読んであまり違和感を覚えないのは、こうした物語を語り楽しんだ人々が、狩猟採集民の時代をとうの昔に脱してしまって、私たちと同じように消費経済を営む、都市や農村の人々だったためかもしれません。
冒頭にご紹介したのは、バビロニア人やハッティ人に信じられていた神々と人間の物語です。
人間は神々の用を足すための僕(しもべ)なのですが、神々といえども人間がいないと困ってしまうというわけで、神様たちと人間の、対等とはいかなくても、互いになくてはならない関係がおもしろく描かれています。
世界最古の物語と言えばまずこれを指すことになっている“ギルガメッシュ叙事詩”も、もちろん、この『世界最古の物語』で読むことができます。
これは、三分の二が神で三分の一が人間であるために、あまりに人間離れした力を持って傍若無人の振舞いをするギルガメッシュが、対等の力を持った友人エンキドゥを得ることによって、初めて人間らしい情のある人間になることができるという、人間真理の極めて洞察に富むエピソードから始まります。
人間離れした、ただ強いだけの英雄ではなくて、極めて人間的なギルガメッシュの悩みや悲しみが素直に心に響きます。
この物語は、より躍動的な味わいの深い原文からの逐語訳、山本書店刊の『ギルガメッシュ叙事詩』も刊行されています。
その後、『ギルガメッシュ叙事詩』はちくま文庫から刊行されて、手に入りやすくなりました。