第4章 異界の民の物語 異界に生きる

CHRONICLES OF TORNOR by Elizabeth A. Lynn

アラン史略

エリザベス・A・リン


異質な社会、
異質な人間関係、
異質な行動様式

領主の息子の命と引換えに
侵略者への忠誠を誓ったライク

アランの地の北辺の山国に、北方の異民族への守りとして築かれたトーナー廓(くるわ)。
ようやく北方の民との間に平和が築かれようとしたときに、この廓は、南の地ガルバーレスの庸兵隊(ようへいたい)の頭目コウル・イーストルによる、思いもかけない攻撃を受けた。
廓の領主アソルは死に、トーナー廓は敵の手に落ちてしまう。
捕われの身となった哨兵隊(しょうへいたい)の組頭ライクは、アソルの息子アーレルの生命と引き換えにコウル・イーストルへの忠誠を誓わせられた。
この地をよく知るものとして、コウル・イーストルによって重用されるライク──。
一方、アーレルは、道化の役を強制されて、トーナー廓で屈辱的な生活を送ることになる。

伝説の地ヴァニマーへ

そんなある日、トーナー廓を二人の使者が訪れた。
彼らは敵対するものたちを繋ぐ使者の役割を業(ぎょう)とし、どこの勢力も組せず、利用されることを拒絶する“緑幇(りゅうばん)”といわれる結社の人間である。
二人はまた、“ギーヤ”といわれる、男とも女ともつかない両性具有とも考えられるものたちだった。
ライクとアーレルは、この二人の助けを借りてトーナー廓を脱出したのである。

二人のギーヤ──ノーレスとソーレンは、実は、“緑幇(りゅうばん)”の成員であるより以上に、自分たちが“チアリ”であることを重んじる人々だった。
“チアリ”とは、舞を舞い、不思議な武術を使うものたちで、彼らによれば、宇宙の均衡を“チア”といい、これを守るものとして“舞人チアリ”があるというのである。
そして、若殿アーレルとチアリのソーレンには、ライクの知らないあるしがらみがあったのだ。
ライクとアーレルは、彼らに連れられて、幻の──伝説の地であるヴァニマーに行き、この里の人々とともにしばしのときを過ごすことになる……。

──「第1部・冬の狼」

チアリの興亡

《アラン史略》は、一部ごとに独立した三つの物語によって構成されて、全体としてはアランの中でのチアリの興亡の歴史を描くという形になっています。
『第1部・冬の狼』ではまだ認められるに至らなかったチアリたちの活動が、『第2部・アランの舞人』では輝かしい憧れに満ちたものとなり、『第3部・北の娘』になると、これが再び衰退して、もはや過去のものになってしまっているのです。
そして、これはまた、アランにおける女の地位の変遷を示す歴史でもあります。

『第2部・アランの舞人』は、こどもの頃片腕を失って、武術の訓練も受けさせてもらえず、欝々(うつうつ)として祐筆(書記)の修行に励んでいた少年の物語です。
彼には、長い間離れて暮らしている、チアリとなった兄がありました。
少年はこの兄に連れられて、自分の育ったトーナー廓を離れ、ヴァニマーへ向かうなかで、兄への憧れと劣等感を克服し、みずからが根差すところを持たない不安から解放されていきます。
彼には他者との間に思いを共感できる特殊な力がありました。

『第3部・北の娘』では、初めて少女が主人公となります。
この物語で、北の地への憧れを胸に秘めた下働きの年季奴隷の少女は、考えていることとは違った現実に正面から立ち向かい、辛いことに耐えて強くなっていきます。
彼女は、時を越えて過去を見ることができる力を持っていました。

異質な世界の異質な行動様式

アランの世界で、もっとも異質でファンタジーしているのは、その人間関係かもしれません。
この世界が持っている超自然現象は、ほとんど、超能力の部類に分類されるもので、それ自体はさまざまな作品でおなじみの、特に目新しいものではありません。
ところが、彼らの人間関係といったら──。
この世界では、男女の別なく、同性愛が異性愛と同様、まったく普通のものなのです。
『第2部・アランの舞人』では、兄弟同士の同性愛さえ、まったく普通のものとして描かれます。
あんまり自然に描かれてしまっているので、その恋愛関係から男女の区別を推しはかろうとすると間違えてしまうほどです。

そして、ここで示される人間関係の形がさまざまであるように、作品が示して見せるアランの社会や政治のありようもまた、それぞれにさまざまです。
領主が絶対的な権力を握る社会。
合議制によってすべてが決められ、その長でさえも社会の一構成員であって、特権を有することのない社会。
また、すべての構成員が武器を有し、武道を身につける社会があれば、すべての武器を禁制とした社会もあります。
作者は、作品のなかでさまざまな人間関係や社会を提示して見せて、こんな世界はいかがですかと、読者に問いかけているようです。

こうして作者が創造して見せたアランの地は、社会や人々の考え方そのものがかなり異質で変わった世界です。
作者は、この世界に生きる人々を非常に巧みに造形しました。
異質な環境のなかに生きる人間は、考え方、振る舞い方も、その世界にふさわしいものになるはずで、この物語はそこをたいへん自然に描き切っているのです。

方言を使った意欲的な翻訳

翻訳は、地方ごとの方言の特徴を出すために、大阪弁や薩摩弁を使うという凝ったことをしていて、これはなかなかおもしろい試みです。
もう一つ、これはちょっと気がつきにくいのですが、アランの世界の創造に当っては、日本の習俗、言葉に負うところが多く、これが作品のエキゾチシズムの隠し味になっています。


《アラン史略》  CHRONICLES OF TORNOR by Elizabeth A. Lynn Translated by Noguchi Yukio  エリザベス・A・リン 著  野口幸夫 訳  早川文庫
『第1部・冬の狼』 WATCHTOWER  1985年4月30日
『第2部・アランの舞人』 THE DANCERS OF ARUN  1985年11月30日
『第3部・北の娘(全2巻)』 THE NORTHERN GIRL  1986年6月30日

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