王都モンドールの後方に聳(そび)え立つエルド山に住み暮らすサイベル。
彼女は獣たちの心に呼びかけ支配する力を持つ、三代にわたる魔術師の裔(すえ)である。
サイベルはさまざまな力を持った不思議な獣たちとともに、美しい白の館に住み、新たな獣を呼び寄せることに専心し、独り、愛も憎しみも恐怖も知らない静かな生活を送っていた。
しかしある日、館の門に立った一人の騎士から、彼女の血縁だという赤子タムローンを預かったとき、彼女の静かな生活は終わりを遂げた。
タムローンは現王ドリードの息子であり、そのため、人間界のさまざまな思惑が、嫌応もなく彼女のもとに押し寄せてくることになったのである。
人間の世界と関わることで、サイベルはこれまで知らなかったさまざまな感情を知ることになった。
まず彼女は、タムローンを育てることで、初めて人間に対する愛を知る。
そして、タムローンを育てるために山の魔女メルガに知恵を貸してもらったことから、メルガの与える無償の母の愛に甘えることを知った。
さらに彼女に赤ん坊を預けにきたコーレンの人柄に魅かれて、サイベルは人を恋することを知るのである。
しかしサイベルの知った人間世界には、愛すればゆえの憎悪が満ち満ちていた。
無償の優しさをもってサイベルやタムローンに接するコーレンすらも、愛する兄のノレルを殺されたため、現王ドリードへの復讐を心に秘めているのである。
サイベルは、人間世界のさまざまな面倒のなかにタムローンを置くことを懸念しつつ、成長したタムローンの望むまま、彼を実の父であるドリードに渡す。
しかしこのことでサイベルと知り合ったドリードは、彼女の力がコーレンのために使われるかも知れないという恐れを抱いたのである。
そのためドリードは、魔術師ミスランに命じ、サイベルの心の自由を奪い、自分に絶対に従順な女にしようとする。
自由な心を失うことは、サイベルにとって、死ぬより恐ろしい忌むべきことだった。
恥も外聞もなくドリードの前に跪(ひざまず)き、サイベルは許しを乞うのだが、ドリードの心は動かなかった。
サイベルを愛するようになっていたドリードには、愛する妃に裏切られて傷ついた手痛い過去があったため、愛するものによって自分の心が傷つくことを恐れたのである。
恐怖の妖怪ブラモアの力によって魔術師ミスランを殺し、辛うじて虎口を脱したサイベルは、ドリードを激しく憎んだ。
こうして、英知を尽くしたサイベルの、恐ろしい復讐が始まったのである。
人間らしい感情を持つ必要がなかったため無垢のままに育ったサイベルが、人間の世界と関わることによって知る、憎悪と恐怖と、そして愛の物語です。
とはいえ、彼女は人間界の事情に無知だったわけではありません。
祖父の代から集めてきたたくさんの書物から、そして、長い時間(とき)を生きてさまざまな人間世界を見てきた獣たちと話すことにより、たいていの人間たちより深い英知を彼女は貯えていたのです。
けれども、それまでそうしたことは、彼女自身とは直接かかわり合いのない、単なる知識でしかありませんでした。
人間的な、けれども煩(わずら)わしい感情から超然として生きている間は、サイベルは恐怖も知らず、傷つくこともありません。
けれども一度、心のなかに愛を知ってしまったサイベルは、今度はそれを失うことを恐怖し、また、憎悪の感情を持たなければなりませんでした。
そしてその憎悪はまた、彼女自身をも傷つけ、さらに新たな憎しみの火種となってしまいます。
サイベルが絡まりあった憎悪の糸を断ち切るためには、傷つくことを恐れず、正直に自分の心を見つめ、愛の相手に自分をさらけだして見せることが必要でした。
あらゆる謎の答えを知っている知性あふれる猪サイリン。
七人の男を八つ裂きにした過去を持つ青い眼の隼(はやぶさ)ター。
大きな翼と金色の目を持つティルリスの黒鳥。
幾世紀もの永きにわたって貯えた黄金の上にまどろむ巨大な龍。
黄金のライオン、ギュールス。
呪術と玄妙不可思議な魔力の持ち主の巨大な黒猫モライア……。
サイベルが呼び集め、支配している獣たちです。
自由な心を失うことを恐れ憎んで、恐ろしい復讐のなかに身を置くことになったサイベルですが、実は彼女は、みずからの喜びのために獣たちの心を縛って奴隷にしているのです。
獣たちは、かつてのように自由に空を飛び、思いのままに世界を駆けることをいつも夢に見ています。
最後にサイベルの心から解き放されたこれらの獣たちが、去りぎわに彼女への愛ゆえに為したことは、人々をもつれて絡まった憎悪の糸から解き放つ大きな素晴らしい贈り物になりました。
マキリップにはほかにもう一つ、『イルスの竪琴』というおすすめのファンタジーがあります。
こちらの主人公は少年で、たくさんの魅力的な登場人物が絡み合い、謎が謎を呼んで最後に意外な結末が待っている、ミステリアスな味わいの深い作品です。
やはり、とても快い読後感が残ります。