信心深いお婆さんが、お仏壇にお経を上げてもらうことになりました。
ところが、このお坊さんは名前ばかりのいい加減なお坊さんで、お経の文句もきちんと覚えていません。
そこでこのお坊さん、そのあたりにちょろちょろしているネズミのやっていることを見ながら、「おんちょろちょろ出て来られ候(そうろう)」、
「おんちょろちょろ穴のぞき」、「おんちょろちょろ何やらささやき申され候」、
「おんちょろちょろ出て行かれ候」と、お経のような節をつけてごまかしてしまいます。
お婆さんはすっかりありがたがってしまって、それから毎日、お坊さんが唱えたとおりの文句でお仏壇にお経を上げていました。
そんなある日、お婆さんの家に泥棒が入りました。
このときもお婆さんは例のお経を詠んでいたのですが、お経の文句がそっくりそのまま、そのとき泥棒がしていることとおんなじなので、恐くなった泥棒は大慌てで逃げて行ってしまいました。
「昔、昔、あるところに──」、と始まる“日本の昔話”は、時代とともに、また語るその場の状況によって、そして語り手の資質によって、話の姿を変えながら、私たちの祖先が古くから口伝えで楽しんできた物語の数々です。
こうした昔話を集めた本は、さまざまな種類のさまざまなものが出版されていますが、『日本の昔ばなし』として岩波文庫に収められているこの三冊は、各地に伝わる膨大な数の昔話のなかから、編者が典型的なものをコンパクトにまとめて、とりあえず日本の昔話を概観できるようにしたものです。
“こぶとり爺さん”、“かちかち山”、“桃太郎”、“舌きり雀”──、日本人の常識となっている昔話の数々です。
とは言っても、皆さんがこうした昔話をどれぐらいご存じのなのか、私にはちょっとよくわかりません。
現在、炉辺でそうしたお話を聞くという習慣はほとんどなくなってしまっていると思われますので、こうした物語も、文章になったものを読むことによって、改めて間接的に体験するしかないかもしれません。
これらのお話には、なるべくなら幼い頃に触れておきたいものですが、おとなになって初めて触れるものであっても、日本の庶民の生活が育んできたこれらのお話は、やはり入り込みやすく、自分が日本人であることを再確認させられるなにか懐かしい匂いを持っています。
“昔話”と同じような題材を扱って、同じような物語構成を持つ『御伽草子』は、室町中期から江戸初期にかけて文章によって記述された、今で言ういわゆる大衆小説です。
『日本の昔話』にも『御伽草子』 にも見られる“浦島太郎”の物語原型が、うんと逆上った『丹後国風土記』や『万葉集』、
『日本書紀』に見られるのはとても興味深いものです。
もっともこれらの書物の浦島は、まったくの実話として描かれているもので、現在私たちが知っている“浦島太郎”のお話とはだいぶん違った姿をしています。