激しい雨の降りしきる大嵐の日の教室で、小学六年生の一郎は、驚いて棒立ちになってしまった。
真っ黒なぬるぬるした異様な三人の巨大な化け者が、うしろのドアをガタガタ鳴らして教室に入ってきたのである。
彼らを叱る先生の声が聞こえるのと同時に、化けものは同じクラスの三人の生徒の姿に変わっていた。
どうやら、彼らの異様な姿を見たのは一郎だけだったようである。
授業の間中、その三人は一郎のことを恐い目つきでにらんでいた。
しかも、彼ら三人とは仲の悪い学級委員の吉川までも、変な鋭い目つきで、じっと一郎を見ているのである。
このときから、一郎の現実は見慣れぬ恐ろしいものへと変貌してしまった。
雨のやんだ後の水たまりからは、真っ黒なまん丸な顔が覗いていて、それが、小さな手を出して一郎の足を掴もうとする。
そして、一郎が見たもののことを聞きたがる吉川やあの三人が彼を追いかけてくるのである。
そんな一郎を助けてくれたのは、工事用の櫓(やぐら)の上に基地を構えた同級生の龍子とその仲間たちだった。
そこで一郎は、いきなり“光車”を捜す彼らの仲間に入れられてしまう。
龍子は一郎に、深さ二センチの水のなかで溺れ死んだ男の子の新聞記事を見せ、“水の悪魔”が悪さをしているのだと教えた。
“水の悪魔”と戦うために、彼らは“光車”を手にいれなくてはならないのだが……。
日常生活のなかに忍び込んでくる異物のイメージが凄まじく不気味です。
いったん読み始めると、そうした不気味さから逃れたいがため、なんとか解決を見ようと、どうしても最後まで読んでしまわずにはいられません。
そういう意味で、これはとても恐い小説です。
ひたひたと押し寄せてくる水の化けものたち。
最初に一郎が見た不気味な3人の同級生は、この水の化けものの仲間です。
相手は水なので、川からも、下水からも、ほんの小さな水たまりからもそれは押し寄せてきて、逃れる術(すべ)がありません。
高みに上れば逃げれられるかと思っても、水は、逆流してでも押し寄せてくるのです。
そして、水の向う側には、上と下とが逆になった、この世界と鏡像になっている別の世界があって、それが水の化けものたちの世界です。
水に触れた人間が、ひょっとしたことで向こうの世界に連れていかれてしまうかもしれないというのは恐怖心をそそります。
一郎たちには、水の化けものたちと対立するもう一つの別の敵がいます。
緑の制服の連中です。
学級委員の吉川は緑の制服の仲間です。
一郎たちが直接戦ったのは、水の化けもののほうなのですが、私には、この緑の制服の連中のほうがいっそう恐ろしく感じられました。
緑の制服の連中は、はっきりこうと書かれているわけではありませんが、どうやら統治者の権力を遂行する者たちらしいのです。
何事もない平和なときは、彼らは表に立たず、意識させることなく人々を支配しています。
それが、水の化けものが現実世界を浸食し始めたそのときに、彼らはその仮面を剥ぎ取って、堂々と銃剣をきらめかせながら人々の前に現れてくるのです。
水の化けものたちと戦うために、裏に隠れている余裕がなくなったということなのでしょう。
水の化けものの現れた建物は緑の制服の連中の力で閉鎖され、住民は追い出され、さらには、水の化けものを見た一般の人たちは、緑の制服の連中に次々に連れ去られてしまいます。
仲間の女の子ルミの母親も緑の制服の連中に連れ去られ、なおいっそう不気味なことに、彼女の兄は、緑の制服の仲間なのです。
一郎たちの行動にも緑の制服の連中からいろいろ圧力がかかってきます。
そして、そのことに対して、たいして怒りの声を上げることもない人々が──、一郎をも含めて──不条理で不気味です。
私たちの考える日常であれば何らかの騒ぎが起こってしかるべきだと思うのですが、緑の制服の連中がこれだけ大っぴらに理不尽な振るまいをしても、何の騒ぎにもなりません。
一郎たちは放課後、寄り集まって“光車”を捜し、水の化けものと戦います。
彼らのノリは、小学生の放課後の“ごっこ遊び”と変わりません。
けれども彼らのやっていることは、実は、決して遊びなどという呑気なものではないのです。
母親に言われて一郎たちの仲間をはずれた双子の姉妹は、水の化けものたちに簡単に殺されてしまいます。
一郎たちに“光車”を捜させて、“光車”が手に入った時点で彼らからそれを奪い取ろうという敵の思惑で、一郎たちは“光車”捜しを止めることも許されない立場に追い込まれてしまったのです。
命すらも掛かったこうした状況でありながら、一郎はいつものとおり学校へ通い、働きながら一人で彼を育てている母親のためにシチューを温め、あるいは、ルミはベランダで母親や兄とバーベキューを楽しみます。
日常生活の諸々(もろもろ)は、いつもと変わりなく、何事もなかつたように続けられているのです。
こうした一郎たちの精神も、不気味な感じを否めません。
緑の制服の連中が人々の意識に強制した、それが日常なのかもしれないと、私は深読みしています。
私はこの物語を以上のように読んだのですが、この小説にはさまざまな仕掛けがあって、読む人によってそれぞれ違った読み方ができるように思われます。
水の化けものの正体もたいへん意外なもので、こちらのほうに注目してみれば、また、まったく別の読み方ができるでしよう。
でも、これを書いてしまうと、物語の興味そのものを損なってしまうような気がしますので、これは自分で読んで驚いてください。
さまざまな色にキラキラと輝いて美しくまわる“光車”そのままに、見方によっていろいろの読み方のできる、万華鏡のようなイメージの小説です。