広大なバラ園に囲まれた精神病院「流薔園(るそうえん)」。
ここは、類型的でないさまざまな幻視者の群れを収集する幻想博物館である。
ここを訪れた“私”は、院長から、患者たちのさまざまに奇妙な幻想世界を聞くことになる。
“車椅子の男”は、生きながらバラの根に翻弄(ほんろう)され、支配され、養分を吸い取られたいと願って、火星の蘚苔(せんたい)類の研究にいそしんでいる。
幻想のなかで妻を殺して、逞しく成人した息子の手によって絞(くび)り殺されたいと願う男。
けれども、その息子は実は……。
それぞれの動機を持って、それぞれの殺人を企む、同じバスに乗り合わせた五人の乗客。
男らしく情熱的な外見にもかかわらず、彼女の上で少しも燃えることのない男に、未知の宇宙生物を見た女。
堂上家の血を引く家系の、古めかしい屋敷のなかで繰り広げられる毒殺劇の顛末(てんまつ)。
病気で死んだはずの妻を殺したのは、いったい誰なのか。
一つの美しい寝台を何より愛した家具職人の殺人の動機とは?。
1971年の今、アメリカの大統領は三選を確実視されているジョン・F・ケネディに他ならないということは……。
ガス漏れで事故死した美貌の青年の、本当の死の原因は……?
生まれながらの殺人者である少年が、同様の殺人者と出会ったときに、何が起こったか。
牧神に変身してしまった青年が、ニンフとともに閉じ込められたのは……。
多摩川べりのG**薔薇園を無残に潰して教習所に変えてしまったその罰は……。
もちろん、それはすべて、流薔園に収容された患者の妄想のはずである。
そう……、そのはずなのだ。
しかし、こうした奇妙な患者を集めて、彼らの奇妙な話を私に聞かせている流薔園の院長は、果たして正気の人なのだろうか。
私は、そもそも、どうしてこの流薔園を訪れることになったのか。
そして、私がいるのは、本当に間違いなく流薔園なのだろうか。
私は、いったい……。
狂気と正気の間(あわい)を描いて現実と夢幻の垣根を取り払い、読者の心を錯乱させる、ちょっと危険な中井英夫の小説です。
むせるかえるような耽美のなかで繰り広げられるエロスと残酷。
サディスティクな、あるいはマゾヒスティックな美しい男や女。
そしてホモ・セクシュアルな交歓は、甘美な死の匂いを漂わせます。
患者たちの幻視としての個々の物語は、それぞれ非常に魅力的な幻想の世界です。
そして、その華麗な想念のなかに翻弄されているうちに、作者の罠に見事に捕えられてしまった読者は、突然、現実を支える足場を取りはずされてしまうのです。
現実が本当に現実であり得るのか。
作品のなかで、狂気の見せる幻と見えたものが、実は現実であったのかもしれない──。
こう思い始めると、頭の芯の捩(ねじ)れるような思考の堂々巡りに捕われてしまいます。
何を現実と考えればよいのかという手がかりを、作者はまったく与えてくれません。
眩惑された挙句の果てに、確かな現実が揺らいで、こちらの頭が狂気のなかに陥りそうな混乱した不条理な思いが残ります。
中井英夫が描くのは、ほとんどが、そのような錯乱を読者に強いる小説です。
作者はこうして、視点の逆転を描き続けることによって、前の大戦の狂気と、終戦による価値観の大逆転を、執拗に追体験しようとしているのかもしれません。
『幻想博物館』は、
《とらんぷ譚》と銘打たれた四冊の連作集の一冊です。
『幻想博物館』を読んでその幻惑の魅力に捕えられてしまった読者には、それぞれ妖しい魅力を放つ、《トランプ譚》の他の三冊がおすすめです。
行方不明の二人の青年の失踪の原因を探るため、目黒の豪邸に集まった十二人の客が語る、彼らの不思議な物語──『悪夢の骨牌(かるた)』。
大正生まれの三人の中年の姉妹が宝石に託して語る自分たちの人生──『真珠母(しんじゅも)の匣(はこ)』。
人外の“私”が語るさまざまな幻想譚──『人外境(にんがいきょう)通信』。
人間のふりをした人間もどきのなかに生きている本当の人間である“私”がピーマンの不気味を徹底的に描いてみせる「鏡に棲む悪魔」(『人外境通信』収録)は、作者のピーマン嫌いが推量されて笑ってしまいます。
もっとも、作者にとっては、ピーマンという異様な食べ物は、本当にこれ程不気味な得体の知れないものなのでしょう。
その後《トランプ譚》は東京創元社から、文庫の一冊本として刊行されました。