元アメリカ陸軍中佐サイモン・トリガース。
彼は屋を得ない事情によって犯罪者となり、裏の世界に身を置いていた。
そして今、彼は犯罪世界の大物ハンスンに逆らい、命を狙われる羽目に陥っているのである。
追われることに疲れ果て、これが最後と覚悟を決めて、雨の日のレストランで最後の食事を取ることにしたサイモンに声をかけてきたのは、裏の世界では有名な凄腕の逃がし屋ペトロニウスだった。
噂では、彼の助けを得た犯罪者は二度とこの世界に姿を現すことはなく、完全に逃げおおせることができるという。
ペトロニウスに導かれ、サイモン・トリガースは有り金全部と引き換えに、人をその人の最もふさわしい世界へ運んでくれるという“シージュ・ペリラス”の門を潜ったのである。
門の向こうにあったのは、魔力を持った魔女の住む、魔法の世界であった。
そこでは、魔法を操る魔女が支配しているエストカープと、エストカープを手にいれようとしているコールダーとが戦いのさなかにあった。
コールダーは、サイモンと同様、その世界の外からやってきたよそもので、地球よりもさらに進んだ機械文明を持つ、半分機械と化したような不気味な人間たちの国である。
この世界で、サイモン・トリガースはエストカープの兵士となって魔女ジェライスと協力し、コールダーと戦うことになったのだ。
エストカープでは女だけが魔力を持ち、そのため、魔女たちで構成する評議会がエストカープを支配している。
しかし、この世界に来たサイモン・トリガースは、男でありながら魔力を使うことができることがわかるのだ。
有り得ないこととされていた、男でありながら魔力を持った不思議な存在として、サイモン・トリガースは徐々にこの世界で名を馳せていくことになる。
この物語には、主人公のサイモン・トリガーズをはじめとして、魅力的な人物がたくさん登場しますが、なかでもヴァーレーヌの領主ファルクの一人娘ロイーズが印象的。
小柄で男の子のようにほっそりした身体、白髪に近い淡い黄色の髪、同じく無色に近いまつ毛や眉毛、ごく薄い薔薇色の唇……、こうした姿をしたロイーズは、女性的な魅力に欠ける、暗闇で育った漂白人間のようなパッとしない外見の娘です。
けれども彼女は、内に鋼(はがね)のような強靭(きょうじん)さを秘めて、みずからの運命にまっこうから立ち向かっていく勇気を持っていました。
ファルクというのが酷い人物で、ロイーズを精神的にも肉体的にも痛めつけることしかしないのです。
二人の間に愛情はまったくなく、ロイーズのファルクに対する感情は、ただ憎しみだけでした。
そしてついに、ファルクから強制されたみずからの結婚式の日に、ロイーズは子供用の鎧(よろい)を着込んで髪を切り、男のなりをしてヴァーレーヌを脱出するのです。
外見のひ弱さと静かな忍耐によって、自分の激しい思いを隠して人の目を欺いていたロイーズが、いよいよ自分の本当の力を発揮して脱出のための冒険を始めるところは、わくわくするような喜びに満ちています。
密かな鍛練によって肉体を鍛え上げ、女の弱さを克服して自分の思うところに突き進んでいくロイーズを見て、日頃、女である自分の力のなさ弱さに歯がゆさを覚えている身は、彼女のように女であることの枷を逃れて冒険のなかに乗り出してみたいと……、ロイーズは、そうした夢をかなえてくれる人物です。
ちなみに作者は女性です。アンドレなどという男のようなペン・ネームを持っているのは、彼女がデビューした当時、こうした小説の分野では、女の書き手というのが出版界に受け入れられなかったためなのです。
さて、《ウィッチ・ワールド シリーズ》には、 だからといって作者が大声でフェミニズムを主張するといったわけではないのですが、男女の関係に関して、さまざまにおもしろい慣習を持ついろいろな種族が登場して、ちょっと考えさせられる興味深い材料を提供してくれます。
エストカープは魔力を持った魔女たちの独裁的な支配下にあり、そのために魔女たちは傲慢(ごうまん)になり、男を見下しています。
また、魔女は結婚によって魔力を失うために結婚を喜ばず、そのためにエストカープは徐々に衰えを見せつつあります。
彼女たちは、自分たちの権利を守るため非常に保守的で、男でありながら魔力を持ったサイモン・トリガースに疑いを持ち、彼が特殊な存在であったため、彼と結婚しても魔力を失わなかったジェライスに嫉妬して、かたくなに彼女の力を認めようとしません。
『第3巻・魔法の世界の三兄弟』では、このため、この二人の間に生まれた特殊な魔力を持つ三つ子のなかでただ一人、女の性をもって生まれたキャステアを自分たちの用に役立てるため、魔女たちは彼女をさらうという行動に出るのです。
『第3巻・魔法の世界の三兄弟』以降は、魔力による深い結びつきがある、この三つ子の兄妹たちが主人公になって活躍します。
エストカープの山岳地帯に住むファルコーナーは男だけの戦闘集団で、彼らは女をただ子供を生むための道具としか思っていません。
女たちは男たちとは別の村落を作り、男は年に二度だけ、彼女たちに子供を生ませるために女の村へ行くのです。
もちろん、彼らに男女間の愛情などはありません。
女を人間として認めていないファルコーナーの戦士たちと、男を見下しているエストカープの魔女たちは、当然ながら良好な関係にあるとはいえません。
放浪の民ヴァプサルは小人数のグループごとに別れ、獲物を求めて放浪し、狩猟をしながら生活しています。彼らのなかで、魔女のいるグループでは魔女が支配力を持ち、魔女のいないグループでは男が支配力を持っています。
エストカープの東の地にはエスコアがあります。
ここはエストカープの人々には封鎖されていて、彼らはそこがあることを考えることすらできません。
エスコアでは、女だけではなく、男も魔力を持っています。
このため、ここでは男女は平等で、支配したり支配されたりといった関係はありません。
もちろん、男女の関係の理想の形はこのエスコアにあるのでしょう。
キャステアを魔女たちから奪い返し、エストカープを逃れた三兄弟が逃げ込んだのはこのエスコアでした。
それぞれ特殊な魔力を持った三兄妹は、この地で光と闇の戦いを戦うことになり、それぞれにふさわしい対等の伴侶(はんりょ)を得て、ここが彼らのあるべき地となります。
サイモン・トリガースにとって、そのあるべき地がエストカープであったように……。