しんと静まりかえった雪の森、ただ一本だけ立っている街灯の灯りに照らされて、雪の積もった真っ白な傘をさして、首に赤いマフラーを巻き、茶色の紙包みをいくつか抱えた半人半獣の一匹のフォーン。
しかも彼は、雪の上に引きずらないように、傘をさしている手にきちんとしっぽを巻きつけているのです。
これが、『第1巻・ライオンと魔女』で、最初にナルニアに迷いこんだルーシーが、初めて目にしたナルニアの不思議な生き物の姿でした。
《ナルニア国ものがたり》は、私たちとは別の世界であるナルニアへさまよい込んだ何組かの少年少女たちの物語です。
彼らは空き部屋にあった衣装ダンスの扉や石塀のドアや海に浮かんだ船の絵から、あるいはナルニアからの助けを求める角笛に呼ばれて、ナルニアにさまよい込み、かの地で大冒険を繰り広げるのです。
ナルニアは、“もの言う動物”や神話や伝説の生き物たちが住んでいて、魔法や不思議な出来事が、私たちの世界よりももっと頻繁に見られる夢のように美しい世界です。
ナルニアの重大な危機のたびに呼ばれて、その解決に力を尽くす少年少女たちは、たった三世代ほどの間にナルニアの誕生からその終末までに立ち会うことになります。
私たちの世界とナルニアとでは時間の流れが違うのです。
もっとも、ナルニアの歴史は、全部合わせても、せいぜい千年か二千年足らずのものなのですが……。
ナルニアでの冒険で試練を乗り越えた少年少女たちは、ナルニアで皆に認められ、あるいは王となり、あるいはひとかどの英雄となって、伝説の人となります。
そして彼らは、いずれも数回このナルニアを訪れて、再度の訪問のときに、自分たちのやった事が偉大な勲(いさおし)として語り継がれているのを知るのですが、前の冒険のお話を読んで彼らにしっかり感情移入してしまっている読者にとって、これはとても快感です。
シリーズは各巻が独立した話になっているので、『第7巻・さいごの戦い』以外なら、どこからでも物語のなかに入ることができます。
私のお気に入りは、『第5巻・馬と少年』と『第6巻・魔術師のおい』の話です。
『馬と少年』は、ナルニアの隣国カロールメンで、養父によって残酷にこき使われている少年シャスタが、ナルニアのもの言う馬のブレーとともに、生まれ故郷のナルニアに向かって旅をする話です。
私たちの世界からの訪問者ではなくて、ナルニア生まれの少年が主人公となって活躍するのは、ナルニアのシリーズのなかではこの一冊だけです。
馬のブレーがとても頼もしく、印象的。
養父によってカロールメンの大貴族に売られてしまった少年に一緒に逃げるよう促し、馬の乗り方を教え(手綱や拍車を使うことは厳禁しますが)、知恵を授けて、彼らの逃避行は、ほとんどこのブレーが主導権を握って進められていくのです。
自由なナルニア人のブレーにとって、彼は“少年の馬”ではなくて、少年が“彼の人間”だったのです。
『魔術師のおい』は、魔法の指輪の力で別世界に行った少年ディゴリーと少女ポリーが、チャーンという一つの世界の終末と、ナルニアの創世に立ち会う話です。
ディゴリーのおじさんアンドルーは、魔法の研究に取り憑かれた私たちの世界の未熟な魔法使いで、魔法の指輪は彼が作ったものでした。
ディゴリーとポリーは指輪の力を試すモルモットにされたのです。
独りよがりなこのおじさんは、私たちの世界のおとなでただ一人、ナルニアに行って、再び私たちの世界に帰ってきた人間です。
普通、少年少女の時代にナルニアで活躍した人たちも、おとなになってしまうと、もうナルニアには行けないのです。
もっともアンドルーおじさんは、ナルニアで“もの言わぬ人間”として、たいそう酷い目に合うのですけれど。
チャーンを滅ぼしてしまったあくまでも権高い魔女ジェイデイスとアンドルーおじさんが私たちのロンドンの街で繰り広げるドタバタは、たいへん楽しいコメディになっています。
そういえば、ジェイデイスもまた、向こうの世界から私たちの世界にやって来た、ただ一人の人間(?)でした。
この物語は、病気の母親を心配するディゴリーの心情が素直に胸に迫って、爽やかな読後感を残します。
ここでもロンドンの辻馬車の馬イチゴが印象的。
彼はナルニアで羽を生やして天馬の祖先になりました。
いったいに、ナルニアに登場してくる動物たちはそれぞれ印象深くて素敵な連中ばかりです。
『第2巻・カスピアン王子の角笛』と
『第3巻・朝びらき丸 東の海へ』に登場して大活躍する、小さい身体に大きな志を持った豪気なネズミの大将リーピチープなんていうのもたいそう魅力的なキャラクターです。
そんな素敵な動物たちがいっぱい出てくる一方で、“物言わぬ動物たち”は、登場人物たちによって、簡単に殺され、食べられてしまいます。
彼らが“もの言わぬ動物”となったのは、ナルニアの創世の時点で、彼らの精神がある水準に達しなかったという、ただそれだけのためでした。
こういう選別の仕方というのはちょっとあんまりなのではないかと私などには思えてしまいます。
とはいえこのシリーズ、少年少女たちの感情の動きがごくごく自然に納得できて入りやすい、とても楽しい冒険物語です。