リバーロック・カレッジで助手をしているジムことジェームズ・エッカート。
彼は、教授たちの権力闘争のとばっちりで、約束されていたはずの大学の講師の職になかなかありつけない中世史の研究家である。同じく大学で助手をしている恋人のアンジー・ファレルと結婚したいと思っているのだが、二人の収入では一緒に暮らす家を借りることもままならない。
そんなある日、アンジーはグロットフウォルド教授の助手として霊体プロジェクションの実験台になっている途中、ジムの目の前でどこかへ消え失せてしまう。意識だけをアンジーのところへ飛ばすのだというグロットフウォルド教授の説明を信じて、彼女を助けるために、ジムもまた霊体プロジエクションの椅子に座るだが……。
話は大違い。
ジムの意識は中世の竜のなかに入り込んでしまい、容易に元へは戻れそうにない。おまけにアンジーは、暗黒の力の支配下にある邪悪な竜ブライアにさらわれてしまった。
二人揃って現代に帰るため、ジムは“不吉の塔”に閉じ込められたアンジーを助け出さなくてはならない。
ジムはこの中世世界で知り合ったたくさんの人間やその他諸々(もろもろ)の助けを借りて、目的を果たすために悪戦苦闘することになるのだが……。
現在の良識ある普通の人間が、突然中世の騎士物語の世界へ行ってしまったら──、おまけに彼が、竜としてその世界を体験することになってしまったら、というお話です。
主人公のジムは、例えば、スポーツが得意だとか、剣の名手だとか、特に物知りだとかいった、何か特別な才能を持った人間ではなくて、ごく普通のどうといったことのない人間なので、感情移入がしやすく、物語のなかにもすんなりと入り込むことができます。
そんな、ごく平凡な現代人の主人公が迷い込んだのは、私たちの過去に存在した現実の中世ではなくて、竜や魔法使いがいる、騎士物語の中世でした。
基本的には、ファンタジーにおきまりの光と闇の戦いのパターンを踏襲しているお話ですが、むしろ、中世に夢とロマンを感じていたジムが見た中世騎士物語の現実、特に、退治される側の竜の目から見た剣と魔法の中世を語ることに重点がおかれています。
もっとも、私たちの過去に実際に存在した中世は、もっと不衛生で、暗い陰欝なものだと思うのですが、ここで描かれるのは、中世の人間が夢見た騎士物語の世界なので、おおむねが、明るくて楽しい中世世界です。
霊体プロジェクションが彼らを送ったのは、ジムやアンジーの夢想した、彼らの理想の中世だったのかもしれません。
戦いの目的は、闇を完全に滅ぼしてしまうことではなく、光と闇の力の間で宇宙の均衡を保つことにあります。
宇宙のありかたをすべて貸し借りによって考える、宇宙の均衡を司る“勘定の係”いう発想がユニークです。
ジムはこの冒険で、宇宙に対して随分貸しを作ることになります。
ジムの仲間になって闇の力と戦い、アンジーを助け出すのに協力してくれるのは、
つい、お友達になりたくなってしまういい奴ばっかりです。
なかでも、竜のスムルゴルと、
私たちの世界の狼の二倍もある巨大な体駆の狼アラは魅力的な存在です。
二人(?)は単純な中世世界の人間たちよりずっと偉大な知恵を持ってジムを助けてくれます。
スムルゴルはジムが入り込んでしまった竜ゴーバッシュの大おじさんで、何があっても身内のゴーバッシュの味方をしてくれます。
本来、西洋の竜と言えば邪悪の象徴で、とにもかくにも退治すべき対象でしかありません。
ジムの入り込んでしまった世界でも、人間はやはり竜をそういうふうにしか見ていなくて、
騎士は竜と見れば退治して、その名声を上げようとするのです。
そんな人間たちを、竜たちは、竜退治で有名な聖ジョージに引っ掛けて、
ジョージと呼んでちょっぴり恐れています。
そしてゴーバッシュは、 このままではやがて竜が人間に滅ぼされてしまうだろうと真剣に心配しています。
ニヒリスティックな狼アラは、竜のゴーバッシュの友達です。
彼は、人間とは関係ないと嘯(うそぶ)いて、
皮肉たっぷりに超然と構えているくせに、
本当はゴーバッシュ(とジム)のために命を投げ出してでも助ける覚悟でいてくれる、
とても頼もしい友達です。
おまけにこの狼、 ジムのことを魔法にかけられた王子様だと誤解して仲間に入った弓の名手ダニエルにぞっこんになってしまい、
彼女に耳を撫でてもらって喉を鳴らしたり、
彼女の不興を買っておずおずとその膝に頭を押しつけてみたりと、
斜に構えて、老成しているかと思えばかわいかったりもして、なかなか複雑な性格です。
人間の仲間たちもみんな好ましい連中なのですが、
私は特に、宿屋の主人ディックが気に入っています。
ジムたちは、後払いの約束でさんざん飲み食いして──
特に竜のジムの食欲は、宿屋の食料庫をからっぽにしてしまうほどで、
大迷惑をかけるのですが、そんな彼らのために、
自分の地下倉にあった鎧を着込んで囮(おとり)の役を引き受け、
みずから進んで危険に身をさらしてくれようという、ありがたい心がけの人物です。
おおむね楽しい冒険の物語ですが、 戦いのなかで死にかけるほどの傷を負ったことにより、
夢とロマンに満ちた(と思っていた)冒険が、
実は死を賭した危険をはらんだものだと初めて気づいたジムが、
急に怖じけづいてしまって深刻に悩んだりするというような場面も出てきます。
彼は死を賭けて戦うことにきちんと覚悟ができている中世人の仲間たちに劣等感を抱くのです。
彼の中世人に対する劣等感はそれだけではありません。
剣と魔法の支配する中世世界で、
ごくごく普通の人間であるジムは、
竜の身体を持ったことで辛うじて何らかの活躍ができるのですが、
それに気づいてしまったジムは、ここでも劣等感に悩まされます。
何しろ女性のダニエルでさえ、百ポンドの弓を引くことができる世界です。
もともとの現代人の身体のままであったなら、
彼は、この、
力だけがものをいう世界で一人前の働きをすることなどできなかったに違いありません。
そうした思いと戦うことこそが、ジムにとっての、本当の闇との戦いでした。
もちろん、結末はハッピーエンド。
人間の姿に戻ったジムには、
ファンタジーの中世世界に生きていく自信を与えてくれる嬉しい発見が待っています。
アンジーがただ待っているだけのお姫様かと思っていたら、
実は……という、種明かしも用意されています。
現代世界に戻ることより、
ファンタジーの中世世界に残ろうと決めたジムとアンジーは、
きっと、人間が竜や狼と共存する素敵な世界を実現させてくれることでしょう。