始まりは現代のアメリカ。
交通事故で足を折り、病院で目覚めた主人公は、すべての記憶をなくしていることを知る。
病院の扱いは非常にうさんくさい。
麻薬の類を注射されて眠らせられていたらしいのだ。
おまけにがっちりと固められたギブスを叩き壊してみた結果、両足はすでに完全に回復しているではないか。
主人公は病院を脱出し、彼を入院させた妹と称する女性、フローラを訪ね、記憶のないことを隠したまま、したたかにも舌先三寸で自分の正体を探り出そうとする。
訳のわからぬまま彼女とかけ引きし、また、机のなかから、自分や見覚えのある何人かの姿を描いたトランプを発見したりするうちに、主人公は少しずつ記憶を取り戻していった。
彼の名はコーウィン。 幾人かの敵とも味方ともつかぬ兄弟を持ち、“アンバー”というのが帰るべき本当の故郷であるらしい。
そこへ、弟のランダムがなにものかに追われて飛び込んで来るのだが、フローラを交えて三人で倒した敵は、なんと人間ではなかったのである。
真っ赤な目をして、手の甲に蹴爪のある、得体の知れない何か……、ランダムの言う「“影”から這い出て来たやつら」である。
自分は一体何なのか。 世界を巻き込んで進行しているらしい複雑な陰謀とは?
そのなかにあって自分はどのような位置を占めているのだろう。
何もわからぬまま、フローラとランダムをだまして、コーウィンはどこにあるとも知れぬアンバーとやらへ向かうことになった。
ところが車の走行につれて、景色は見たこともないものに、地球上に存在するとも思われないものへと変わっていく。
そのうえ、自分たちの乗っている自動車も、着ている服さえも、知らぬ間に見慣れぬものに変わっていくのである。
どうも、ランダムの思うがままにそれらは変化を遂げているらしい。
そのままではどうにもならず、コーウィンはとうとう完全な記憶がないことをみずから白状してしまう。
これを知ったランダムとフローラは、海中の宮殿“レブマ”に彼を連れて行き、記憶を取り戻させるべく“パターン”の上を歩かせた。
実は、彼、コーウィンはアンバーの九人の王子の一人であったのだ。
私たちの地球は、アンバーのまわりに“影”として投影された無数の世界の一つにすぎず、アンバーこそがすべての核となる唯一の“真の世界”なのである。
アンバーの王家の一族には“影”の世界を自由に往き来する力があり、彼らが想像できるかぎりの世界は“影”のどこかに存在するのである。
九王子の父親であり、アンバーの王であるオベロンが姿を消して長い時間が過ぎた今、アンバーの王位を狙って骨肉合い食む兄弟同士の争いが進行していて、コーウィンの記憶喪失もその争いのためだった。
物語は、このアンバーの王権争いに“混沌の宮殿”の陰謀を絡め、予測のつかない複雑な様相を見せて展開することになる。
非常に複雑な世界設定なのですが、 現代アメリカ人だと、自身、思い込んでいる記憶喪失のコーウィンが主人公なので、彼と一緒にさまざまの謎を解きほぐしていくうちに、読者はしっかり物語世界に入り込むことができます。 そしてまた、そうやって入り込んだその世界は、想像し得るあらゆるファンタジーの要素をすべて含んだ非常に魅力的な世界です。 なにしろ、アンバーの一族が、想像できるかぎりの世界は、“影”のどこかに存在するのですから。
剣と魔法とユニコーン。
龍にマンティコラに妖精の輪。
海底の王宮あれば、空中楼閣あり。
登場人物の姿形(しけい)は華麗な中世風のコスチューム・プレイです。
こうした世界が私たちのこの世界と同格に、今現在存在しているというのも想像力をかき立てて素敵です。
移動に使うトランプ、パターン、地獄騎行(ヘル・ドラド)といったアイディアも独創的。
もっとも彼らアンバーの一族も、そうした“影”の世界で必ずしもオールマイティというわけではありません。
“影”に住む人々にもやはりちゃんとした人格があり人生があって、そうしたものにまで干渉を加える力は彼らにはないのです。
そうした人々にとっては、アンバーの一族は、神というよりは怪物、化け物といったイメージのほうが強いようです。
なにしろあんまり丈夫で長生きなので、たまには殺し合いでもやらないと退屈でしようがなくなってしまうような連中なのです。
死すべき普通の人間や人間もどき──“影”の世界には、さまざまな形をした知性ある生き物がいます──に対して、非常に残酷なところがあったりするわけです。
骨肉の争いというと何となく陰湿で悲惨な感じがしますが、あっけらかんと、時には居間でお茶など飲みながらの、なかなか明るい陰謀劇が展開します。
登場人物たち──、特に主人公のコーウィンが、あんまり陰気に深刻に考え込む性格ではないからなのでしょう。
なごやかに家族団欒しながらの殺し合いというのもなかなか楽しい見物(みもの)です。
この一族は皆さん、頭はいいし、人は悪いし、簡単に心変わりはするしで、誰が敵やら味方やら、
複雑怪奇な人間関係のなかに読者はすっかり翻弄されてしまうのですが、彼らに倍する頭の切れと人の悪さとはったりを駆使して、主人公のコーウィンとともに物語を生き延びていくのがとても楽しいというわけです。
もちろん、さまざまな戦いあり復讐ありで、派手な見せ場もいっぱいです。
そしてまた、こうした登場人物たちがすべて強い個性を持っていて、それぞれ、さまざまに魅力的。
ミーハーしながら読みたい人にも、その対象には事欠きません。
私としては、主人公のコーウィンは感情移入の対象で、おとなの風格、爪を隠した能ある鷹といった風情のベネディクトさん(九王子の一人)にミーハーしています。
ガネロンさん(普通の人間)もなかなか素敵。
豪放磊落、主人公が心から信頼できる数少ない頼もしい味方、友人です。
コーウィンが記憶を取り戻してからは、彼に対するおしゃべりが物語世界への理解を助けてくれます。
ちょっとしか登場しませんが、コーウィンが人間以外の何かであることを知ってなお、変わらぬ友情を約束してくれる、地球でのコーウィンの友人ビルも、なかなか素敵な紳士です。
ビルがさりげなくコーウィンの正体を聞き出すやりとりは感動的。
アンバーの王子たちの心のなかにそれぞれ深く影響している
──彼らは結局、多かれ少なかれファザコンだったりするんです──
行方不明のお父さんオベロンもなかなか楽しい傑物です。
最後に明らかになるオベロンの真の姿、心根は泣かせます。
こいつも、結局いいやつなのです。
ほかにも、頭のおかしい老人ドワーキン、
気のいい弟ランダム、
王位争いの最大のライバル、エリックなど、個性の強い魅力的な人物がたくさん登場します。
捕われの主人公に食料と情報を運んでくれる義に厚いライン卿、
別れの際の最後の一言が利いている灯台守のジョピンじいさんなども、
地味ですが、忘れられないキャラクターです。
これら一癖も二癖もある連中が複雑に絡み合うなかで、世界の真の姿が明らかにされ、みずからの出自の謎を探るうちに、
主人公も、そして他の兄弟姉妹たちも成長し、真の自分自身に目覚めて変わっていきます。
彼らの共通の敵である“混沌”の側にもまた、尊敬すべき魅力的な人物
──怪物?──がたくさん登場します。
コーウィンが愛する謎の女ダラ。
アンバーの連中と違って、非常に紳士的な混沌の大貴族ボレル卿。
鬼女リントラ。
彼ら“混沌”の勢力とは、アンバーの対極にあって世界を混沌に帰そうとする“混沌の宮殿”のものたちです。
彼らはアンバーの厄介な敵として、後半さんざん主人公を苦労させることになります。
世界が混沌に帰するのを妨げて、物語は大団円を迎えるわけではありますが、
最後に明らかになる“混沌”の意味もまた、魅力的。
何人かの惜しむべき人物の死を経てですが、読後感は非常に爽やか。
息もつがずに手に汗握って一気に読み終えた後、今度はじっくり、深く味わう読み方をしてみたくなる作品です。
ゼラズニイにはもう一つ、『影のジャック』というお薦めのファンタジー作品があります。
魔法をその基本システムとする“暗黒界”と、
科学を基本システムとする陽光界とが厳然と分かたれた、自転を知らない地球を舞台に、
魂を持たないがゆえに不死であり、
不死であるがゆえに変化を知らない“影のジャック”の復讐行を描く、
たいへん感動的な物語です。
中世的な“暗黒界”の住人であるジャックが、
世界の秘密を解き明かすために“陽光界”の大学でコンピューターを扱うキャンパス・ライフを送るというあたり、
二つの世界の異質さが際立って、特異なファンタジー空間を現出させています。
もっともこれは、今はなき“サンリオ文庫”に収められていたものなので、
現在はなかなか手に入れることができないのが残念です。