書籍データは持っている本のものです。現在最新のデータではありません。
『太字斜体』の見出しは書籍名、「太字」の見出しは単行本収録の作品名です。
「斜体」は引用です。
時間がズレるラジオ局 |
「半島の突端にある」「港町」で、「演劇人くずれの水産加工会社社長が」作った地元ラジオ局。
このミサキラヂオは、放送された電波を受信機が拾う時間がズレるという、不思議な現象を引き起こす。
ささやかな日常をそれぞれに生きる人々は、ミサキラヂオを介して繋がり、前へ進む力を得て、それぞれの人生へと歩み出す……。
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経歴も年齢も性別もさまざまな人々の人生模様が、それぞれ、丁寧に愛情込めて描かれて秀逸。
読後はしみじみとした感動に浸ることができた。
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著者が、現代から繋がるその時代を
高度消費社会がいいかげん長く続き、そこにさほどの感動も驚愕もなくなってくれば、なにか一つの発見、なにか一つの新技術、何か一つの社会変化が、人間たちの生活や考え方や人生のありようを劇的に変化させることなどなくなっていたのだから。日本のODAがはじめて伝統を灯した中米の山村や、肺炎球菌の予防接種が乳児死亡率を劇的に改善させたアフリカ諸国の内陸部の人間たちが抱くような驚きを、ミサキの人間たち、ひいては日本の人間たちは、生まれてから死ぬまで知ることがないだろう。
と見る故だろう。
近未来の物語ではあるのだが、味わいはほとんど現代であり、その筆致から紡ぎ出される匂いは、むしろ、懐かしくすら感じられるものになっている。
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こうした時代に生きるミサキの人々は、ラジオの時間がズレることにも、投稿ハガキがラジオ局に届く時間がズレることにも、さほどの違和感を覚えることなく、そうしたものだと、これを淡々と受け入れる。
もう、仕方がないんじゃないのかなぁ。これだけ世の中の動きがゆっくりしちまえばな。ちょっとぐらい時間がズレることだってあろうさ。
もちろん、時空を超える何らかの摂理が働いているらしいこの現象を解明しようとする動きもあるのだが、それは、この小説のメインテーマとはならない。
著者が描くのは、あくまでも、あるがままに時代や人生を受け入れて生きる人々のささやかな日常の積み重ねなのである。
そして、ささやかな日常を生きるということは、それぞれの人々にとって、それぞれに重いのだ。
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『ミサキラヂオ』がとってもよかったので、著者のもう1冊の単行本『チューバはうたう』も読んでみました(^^) →
史実との絡み具合が絶妙 |
秋去姫、朝顔姫、梶葉姫……、七つの異称を持った七夕伝説の織女。神代の大王の怪死をめぐる幻想的な第一話から、江戸時代の禁忌の愛を描いた最終話まで、遙かなる時を隔てて女たちの甘美な罪が語られる。史実、和歌、人間ドラマという糸を縦横に組み合わせて描かれた、まさしく絢爛たる織物のような連作ミステリー。
――カバーの惹句
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国津神の血を繋いで連綿と続く謎の一族の物語と史実との絡み具合が絶妙で、幻惑されながら、たいそう面白く読んだ。
登場人物たちの心理もまっとうで、素直に感情移入できたのもよかった(^^)
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一つの短編のなかで提示されたメインの謎に関しては、納得できる合理的な解答が非常にわかりやすい形で語られて、それぞれの事件はすっきり解決するのだが、裏に隠れた形で提示される史実との対応、各短編同士の繋がりなどは、説明調に陥ることなく最小限に抑えて書かれているため、読み終えた後も、さらに推理を重ねて、長く楽しむことができる、わたしにとってはお得な1冊だった。
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最終話が江戸時代で終わってしまっているところが物足りない。
七姫という数に捕らわれず、現代に到るまでの、もっともっとたくさんの織り姫たちの物語を読んでみたい。
最終話に登場する、抜群の動体視力を有する“きぬ”にもやはり、どこかで謎の一族の血が入っているのだろうか……などと考えると、まだまだ、物語を紡ぐことができるような気もするのだが、感慨深い余韻を残して終わった物語のその後は、そして、描かれなかった間(あわい)を埋める物語は、読者にゆだねられているのかもしれない。
民話の語りの向こうに…… |
民話の語りの向こうに現実世界が立ち現れてくるという仕掛けの小説で、たいそう面白く読み進むことができたのだが、最後に立ち現れてくるのがわたしたちの世界の現実ではなくて、仮想世界の現実であるところが物足りなかった。
せっかく、固有名詞を古代日本の文献から持ってくるなど、凝った作りになっているのだから、立ち現れてくるのも古代日本の現実であって欲しかった……と、思ってしまうのは、期待しすぎかな?
もっとも、実はきちんと対応する史実があって、わたしの無知故に捉えきれなかったってなんてことだったら……、恥ずかしい(^^ゞ
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表紙イラストの鏡には引っかかってしまった(^^ゞ
本文中に描かれる製造過程から鑑みても、あれが、ああいう形の鏡であるはずはないと思うのだ:けど……。
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『七姫幻想』、『深山に棲む声』を読んで「いいじゃん!!」と思ったわたしは、『千年の黙 異本源氏物語』、『れんげ畑のまんなかで』へと読み進んだのでありました(^^ゞ → →
狂気が欲しい? |
中井英夫から狂気を抜いて癒しを足した感じかな?
狂気がない分、幻惑されるまでには行かないところが物足りないのだが、奇想と言えるイメージ力には期待度大。
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主人公を巡る謎はこの1冊ではすべて解き明かされたわけではなく、物語はまだまだ続くものであるらしい。
この書のラストでほのめかされている、丸ごと一つの町が癒しの空間となるのであろう、主人公の満州での物語を、早く読んでみたいものだと思う。
扱いの難しい満州という地をどう料理してみせてくれるのか……、楽しみでもあり怖くもありといったところ(^^ゞ
綺麗に収まって気持ちがいい……はずだけど |
複雑に絡み合うもつれた糸が最後に綺麗に収まって気持ちがいい……はずなのだけど、恋のためにあれほどのことをした女が、最後にああいう選択をして、それでいいの? とも思ってしまって、読後感はちょっと複雑(>_<)
世界を変えることさえできる能力を持つ登場人物が、さまざまな困難を乗り越えて、最終的には、倫理に則った方向へと進むことを決意して、そのことによって、大半の登場人物の上に、救いがもたらされることになる……。
マキリップの小説の多くに見られるこうした枠組みは、そのお行儀のよさが気持ちよくもあるのだが、いささか物足りないところでもある。
今回の物語でも、ケインなど、情念のままにどこまでも墜ちていって、世界が闇に墜ちようと、自身は大満足の生涯を終えるなんてのもいいような気がしてしまうのは、わたしがすれてしまったせいなのか?
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ヴィヴェイがケインの未来の姿なのか、あるいは、ケインとアクシスの物語を紡いだのは実はヴィヴェイであったのかと思っていたのだけど、それはなかったみたいで、ちょっとはぐらかされてしまったように勝手に思ってしまったりもしたのでもありました(>_<)
こうした深読みのしすぎをしてしまうのも、マキリップに過剰な期待があるせいなのかもしれません。
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素晴らしい造形のマキリップの世界に魅せられて、わたしはどうも、その登場人物たちに、抑制を外して、もっともっとはじけて欲しいと思っているらしい。
うーん… |
明るく楽しいユーモアたっぷりの筆致で始まって、「これ、好きかも!」と思って読んでいたら、だんだん気持ちの悪いことになっていってしまって……ダメだった(>_<)
最初の楽しさで通して欲しかったんだけど、ベトナム戦争のトラウマを引きずるこの著者にとっての現実って、こんなものなんだろうなぁ。