『海街diary』は、おとなの都合で振りまわされ、傷つけられてきた娘たちの癒やしの物語として始まった。
しかし『詩歌川百景』で、困ったおとなたちに振りまわされる妙と和樹の、辛く苦しい戦いはまだ始まったばかりのようである。
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『海街diary』の困った母は、彼女にとっての困った母とその母とそっくりな娘のいる、「息の詰まるような場所だった」鎌倉の家を離れて、遠くに自分の居場所を得、そこで幸せ(?)に暮らしているため、直接的に三姉妹の人生に関わってくることはほとんどない。
困った母に対峙する三姉妹は、ひとりではないため、互いに支え合い、協力し合って事に当たることができる。
対して『詩歌川百景』の妙は、近くにべったり張り付いたままの困った母と、ひとりで向き合わなくてはならない。
『海街diary』で擬似的な母親として三姉妹を支えた祖母は既に亡いが、やはり彼女たちの擬似的な母親役を担う大叔母はまだ健在。
さらに、三姉妹は物語が始まった時点で、既にそうした支えがなくても大丈夫なほどには自立したおとなになっていた。
対して、妙にはまだ支えが必要だが、擬似的な母の役割を担う祖母には健康上の不安があって、いつどうなってしまうかわからない。
伯母なる人は、困った母と同類であるようだ。
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妙と和樹が暮らすのは、鎌倉とは比較にならない狭い地域社会である。
多分、観光客を除けば「通りすがりの見知らぬ人」という存在がないであろう地域社会で、妙と和樹は関わる相手を選ぶことができない。
プライバシーなどというものは、あってなきが如きものだろう。
一歩家を出たなら心の中以外に私的空間を持ち得ないのであろう『詩歌川百景』に、しかし、『海街diary』では主要な舞台となっていた家の中の描写がないことにもまた、何かの意味があるのだろうか。
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最初はちょっと危ういところもあった『海街diary』の三姉妹は、異母妹のすずと暮らして自分たちが擬似的な母の役割を果たすことにより、楔を打たれたように安定した自己を確立し、困った母にあらまほしき母親像を期待するのを諦めて、自らを見つめ直して、それぞれのおとなへと成長した。
困った母、困った親からの自立は、『ラヴァーズ・キス』『海街diary』『詩歌川百景』と続く一連の作品に共通するテーマの一つのようなので、多分、この物語もその線に沿って進んでいくのではないかと思われるが、ときに吉田秋生は、自らのキャラクターにとんでもなく突き放した過酷な運命を背負わせるので、あまり安心してもいられない。
祖母の健康に不安がある中で、妙の困った母がこれからどう動くのか。
「うっかり毒リンゴ喰らうなよ 白雪姫」という類の言葉が暗示するものは。
『海街diary』の困った父は、死んでしまってもはや関わってこない人になったとき、「ダメだったかもしれないけど」「やさしい人」として三姉妹の胸におさまったようだが、妙の(多分)困った父は存命で、これから妙にどういう形で関わってくるかわからない。
親代わりを務めてくれた大叔父夫妻の手を離れた和樹は、既におとなに守られるこどもの立場を脱して、異父弟の守を守りながら自立したおとなへの道を歩み出しているようだが、現在は消息不明の困った母が、これからどういう形で和樹に絡んでくるかわからない。
母と共に暮らすことを選んで、きちんと育つことのできなかったらしい、もう一人の弟である智樹の存在も、不安材料だ。
和樹の実の父がどうなっているかも気にかかる。
どうも、『詩歌川百景』のふたりの未来には、暗雲が立ちこめているように思われてならない。
今はただ、始まったばかりのふたりの物語が幸せなラストを迎えてくれることを願うばかりである。