驚くべき美貌。
石炭のごとき漆黒の瞳。
青味を帯びた黒い炎と輝く髪。
夜の威容のすべてを含んだ衣。
これは、闇の公子の一人である妖魔の王アズュラーンの、何とも魅惑にあふれた数々の邪悪な所業の物語である。
昔々、地球がまだ平らだったころ──、人間が滅多に寄りつかない地の中心に、数々の宝玉に彩られ、想像を絶する妖しさと魔法に満ちた妖魔の都ドルーヒム・ヴァナーシュタナがあった。
ドルーヒム・ヴァナーシュタナの貴族ヴァズドルー。
その従者であり侍女である高位の妖魔エシュヴァ。
みずからは小柄で醜怪でありながら、美しいものを造ることに長(た)け、金属細工師の才を持ったドリン……。
妖魔の愛するものは悪戯(いたずら)と悪行であり、人の世の不幸は彼らの無上の喜びだった。
そして、彼らの君主こそ、「夜の公子、苦悶をもたらす方、鷲の翼の持ち主、忌むべき名の方」──闇の公子アズュラーンだったのである。
アズュラーンが人の世に姿を見せるとき、その気紛れは災厄となって人々を襲い、彼の不興を被(こうむ)った人々には残酷な運命が与えられることになる。
完璧にしてたぐいまれなる美の持ち主、シヴェシュ。
彼は妖魔の都で育てられ、アズュラーンの寵愛(ちょうあい)を受けていた。
しかしシヴェシュは、妖魔の忌み嫌う太陽のひかりを慕ったために、アズュラーンの怒りに触れて、不幸な死を迎えることになる。
アズュラーンが、シヴェシュのために花の中で育てた乙女、花の子フェラジン。
彼女の流した七粒の涙の宝石を使って、ドリンのヴァイイが精魂傾けて造り上げた白金の首飾りは、アズュラーンの手によって人間界にもたらされ、欲に駆られた人々によって、数々の不幸を生み出した。
しかし、やがて盲目の詩人カジールは、この首飾りによってその存在を知った花の子フェラジンを自由にするため、首飾りを持って妖魔の都に赴(おもむ)いた。
彼は詩によってアズュラーンの謎に答え、フェラジンを得たのである。
幸せを掴(つか)んだかに見えたカジールであるが、彼の答えはアズュラーンの不快を被った。
そのためカジールは、フェラジンと一年をともに暮らした後(のち)に、アズュラーンの巧みな罠に欺かれ、フェラジンを失うことになる。
こうして、物語は、次々と連関するエピソードを積み重ね、アズュラーンの手になる数々の不幸を描いていく。
言葉の美──恐らく、翻訳者の功になるところ大の──が素晴らしいイメージの効果を生んでいます。
次から次へと繰り広げられる、目眩(めくる)めく美と官能のイメージが快感です。
圧倒的な力を有するアズュラーンですが、時には彼も失敗したり、人間にしてやられることもあります。
弱点もいくつか持っています。
それでもアズュラーンには、彼を負かした相手を見事と感じることのできる余裕があって、そうしたものには彼も祝福と恩恵を与えます。
みずからの思いにみずからの手で枷(かせ)をはめる必要は彼にはありません。
ただ力を頼んでちっぽけな誇りを守る──、そんな虚勢を張る必要は彼にはないのです。
思いのままに、人間とは別の次元の論理に生きる美貌のアズュラーン。
アズュラーンがたいそう魅力的なため、彼に惚れ込んでしまうと、彼の悪行も、そして彼のもたらす悲劇すら、危険な愉悦以外のなにものでもありません。
その上、数々の悪行の果てに、この物語には、ある感動的な結末が用意されていて、これを読んでしまったらもう、読者はアズュラーンを好きにならずにはいられないでしょう。
次々と展開される、美しくも残酷なアズュラーンの悪行のうちでも印象深いのは、ゾラーヤスの物語です。
ゾラーヤスは、アズュラーンの戯れによって、この世に生を受けた日に、世にも醜い顔と、常に苦痛を伴う不具の身となり果てた娘です。
そのため彼女は、人間たちの間で、数々の惨い扱いを受けなければなりませんでした。
けれども彼女には強い意志の力がありました。
ゾラーヤスは恐るべき力を持った魔女になります。
彼女は魔力によって、父のゾラシャードが失ったすべてのものを取り戻し、復讐を成し遂げ、広大な帝国を支配して、すべての望みをかなえます。
残っているのは、アズュラーンへの復讐だけでした。
そして、ゾラーヤスの復讐はほとんど成功するのです。
女として、妖魔の王の美しさに惑わされさえしなかったなら……。
ゾラーヤスの巧知によって窮地に陥ったアズュラーンは、ゾラーヤスを甘い囁(ささや)きで籠落(ろうらく)しようとしなければなりませんでした。
そしてアズュラーンは、ゾラーヤスの仮面を剥いで、彼女の醜い顔と身体を暴いたのです。
「この期に及んですら、公子の考えることは単純とは言い難かった。もはや王座の上で慄(おのの)いている危険で哀れな女に敵意を抱いてはおらず、むしろその知識と狡猾さと胆力に好感を覚えていた。またこれほどの力と闘争心を持った女がいれば、世界に素晴らしい災いの種を蒔けることも見てとった。」
アズュラーンの御業(みわざ)は、ゾラーヤスに妖魔のみに作り出せる美、世界を滅ぼす美を与えます。
そして、おのが手になる美に心魅かれたアズュラーンは、彼女にくちづけし、苦痛をしか知らなかった彼女の身体に彼の抱擁を与えたのです。
アズュラーンの抱擁を受けたゾラーヤスは、公子の見たとおり、数々の災いを振りまいて生きていくことになりました。
さまざまな不幸の果てに、みずから掴み取った力と、そして何より、みずからの美に酔い痴れるゾラーヤスの驕慢(きょうまん)と、純粋とも言える悪の喜びが痛快です。
そしてまた、ゾラーヤスに感情移入して、世にも美しい妖魔の王アズュラーンの甘い囁きを受け、彼の愛を受けるのは、なんとも言えぬ快感です。
『闇の公子』を含む《平たい地球シリーズ》は、さらに書き継がれて幾冊かが刊行され、妖魔の王アズュラーンの他にも、さまざまに魅力的な闇の君が描かれます。