あるところに、怠け者で糸紡ぎが大嫌いな女の子がいました。
ところがお母さんは、このことを人に知られるのが嫌で、お妃様に、「この子は糸紡ぎが大好きで、糸紡ぎを止めさせることができないのです」と、嘘をついてしまいます。
お城へ連れていかれた娘の前には、三つの部屋に一杯の麻が用意されました。
「この麻をすっかり紡いだら上の王子の夫にしてあげましょう」とお妃様は言うのです。
困ってしまった娘のところへ三人の魔女が訪ねて来ます。
彼女たちは、娘に代わって見事に糸を紡いでくれました。
王子様との結婚の日に、魔女との約束のとおり、娘は魔女たちを、自分の伯母だと偽って結婚式の食卓に座らせました。
世にも醜い姿の魔女たちに、何でそうなってしまったのかを王子様は訪ねます。
魔女たちは、それは糸紡ぎをしたせいだと答えます。
びっくりした王子様は、そんなに醜い姿になってしまっては大変と、娘に糸紡ぎを禁じます。
娘は大嫌いな糸紡ぎを、もう一生しなくていいことになりました。
あるところに、カイとゲルダという、貧しいけれども優しい心をもった、隣同士の仲良しの男の子と女の子がいました。
けれどもある日、悪魔が作った、物事が歪んで見える鏡の破片が目に入ってしまったカイは、その日からとても嫌な男の子になってしまいます。
そして、仲良しだったゲルダをほおって一人橇(そり)遊びをしていたカイは、雪の女王にさらわれて、彼女の宮殿につれて行かれてしまいます。
少女ゲルダは、カイを捜し求めて、遠く北のスピッツベルゲンまで危険な冒険の旅をすることになります。
粉引き屋が死んで、残された三人の兄弟はその全財産を分けますが、末の息子がもらったのは一匹の猫だけでした。
困り果てている末の息子に、猫は、袋を一つと長靴を一足、無心します。
長靴を履いて袋を持った猫は、森へ出かけていくと、死んだふりをしてウサギを捕まえ、これを持って王様のところへ出かけていきました……。
ある男が商売の帰りに森のなかで道に迷い、不思議な館にたどり着きました。
人の姿は見えないのに、暖炉には火が燃え、食堂には御馳走の用意がされています。
誰も姿を現さないので、お腹のすいていた男は御馳走を平らげ、ふかふかのベッドで寝てしまいました。
目が覚めてみると朝食が用意されていて、真新しい服さえ置いてあるのです。
出立しようとした男は、末娘がお土産に欲しがったバラの花を一本、庭先で摘みました。
ところがその途端、恐ろしい野獣が現れて、これを非常に怒ります。
結局男は、娘を一人、野獣のもとへ寄越すという約束をして、命を助けてもらうのです。
二人の姉はこれを嫌がり、優しい末の娘が野獣のもとへ行くことになったのですが……。
民間に語り伝えられていたお話を忠実に文章に写したもの、作者の手によって別な形に作り変えて再話したもの、また、まったくの創作によって語られたもの……。
ひと口に西洋の童話として同じ分類のなかに括(くく)られていても、その来歴はさまざまです。
残酷でありながら、あっけらかんとしたグリム童話。
優しげな見かけに関わらず、陰欝な暗さを持つアンデルセン童話。
皮肉が利いているペロー童話。
時代の道徳を少女たちに示そうとするボーモン夫人……。
重複して収録されているお話もたくさんあるので、比較してみるには絶好です。
これらの童話はここに紹介したもの以外にも、いろいろな出版社から、さまざまな版が刊行されています。
グリム童話は、全体に、主人公に意地悪をするものたちへの報復にちょっと凄まじいものがあります。
真っ赤に焼けた鉄のスリッパを履かされて、死ぬまで踊らされた白雪姫の義理のお母さん。
鳩にて両の目をつつき出されてしまった、シンデレラの二人の義理のお姉さん。
赤頭巾ちゃんを食べた狼は、お腹に石を詰め込まれて死んでしまいます。
ペロー童話では、優しい主人公のおかげで、意地悪な義理のお母さんや姉妹たちも結構幸せな後半生を送ります。
もっとも、“赤頭巾ちゃん”は食べられてしまってお話はそこでおしまい。
グリム童話のように、赤頭巾ちゃんが猟師に助けられる後半部分はありません。
言葉によるユーモアを積み重ねて、滑稽譚として、あっけらかんと潔く終わってしまいます。
また、ペロー童話の“いばら姫”は、眠れる美女が王子様に助けられてめでたしめでたしにはなりません。
王子様のお母さんは、人食い鬼で……、という、結婚してからのお姫様の苦労話がくっついているのです。
アンデルセン童話は、最終的にキリスト教の教えに救いを求める傾向が強く、ちょっと馴染めないものもあります。
神様や天国への期待が大きくて、死や残酷をそういう形で美化しているようなところがあるのです。
ペロー童話とボーモン夫人の童話は両方とも、それぞれのお話のおしまいに教訓がついています。
ボーモン夫人の教訓は、完全に少女たちの教育のために示されるまじめでまっとうなものですが、ペローのそれはちょっと違います。
ペローの童話のいくつかには、御丁寧なことに、二つも教訓がついているのです。
最初の“教訓”のほうは、こどもに聞かせてやるのにちょうど良い、教育的なまっとうなものですが、“もう一つの教訓”と題された二番目の教訓は、人生そんなに甘く考えてはいけないよという、ひねくれた、皮肉たっぷりのものなのです。
もちろん、“もう一つの教訓”のほうがおもしろいんですが……。
ボーモン夫人の童話といえば、やはり「美女と野獣」。
これは、粗野で、けれども優しい野獣がやるせないのです。
最後は、娘の愛を受けて呪いが解けた野獣が美しい王子様の姿に戻るというエピソードでめでたしめでたしなのですが、野獣は野獣の姿のままで、末長く娘と愛し合って幸せに暮らしましたという終わり方でも楽しいのになと思っています。
美しい王子様もいいけれど、自分だけの優しい野獣を伴侶にするというのも、なかなか素敵な夢の世界ではないでしょうか。