昔々、野山の竹を取っていろいろな道具を作って暮らしている、竹取の翁(おきな)という人があった。
ある日、竹を取りにいった翁は、根本の光る竹のなかから三寸くらいの美しい子供を見つけた。
翁はこどもを妻の嫗(おうな)に育てさせることにする。
その後、翁が竹を取ると、節と節との間に黄金の入っていることが何度もあり、翁はだんだん豊かになっていったのである。
この子供はどんどん大きくなって、三月もするとおとなになり、“なよ竹のかぐや姫”と名づけられた。
かぐや姫があまりに美しいので、世界中の男が彼女を得たいと願うが相手にされない。このため大部分の男たちは諦めてしまったが、五人の男だけは諦めなかった。
普通の人間とは違う不思議の人とはいいながら、やはり彼女は女の身。
自分たちが死んだあとのこともあるので、誰かを選んで結婚するようにと竹取の翁は姫に勧める。
彼女は後悔することがないように、結婚する前に相手の心をよく知りたいと、彼らの心を試すことにした。
そうしてかぐや姫が彼ら一人一人に持ってきて欲しいと頼んだものは、それぞれたいへんな難題だったのである。
我が国最古の小説は、立派にファンタジーしています。
SFの元祖といった捉え方もありますが、かぐや姫の物語には科学の“か”の字もありませんから、やっぱりこれはファンタジーでしょう。
その上、千年以上も前の物語でありながら、結婚を拒み通し、宮仕えをするようにとの帝の思し召しさえ断るかぐや姫の造形など、考えようによってはたいへん現代的でさえあります。
月の世界という超絶的なところからやってきたかぐや姫には、人間世界の常識であるところの結婚も、帝の権威も、なんの意味も持たないものであったのでしょう。
美しいというだけで姫を求めた男たちの姿も、ただ浅ましいとのみ映ったのかもしれません。
もっとも、男の目から見れば、彼女はその気もないのに無理難題を持ち出して、男たちを破滅に追いやる悪魔のような女と映るかもしれません。
けれども、ほとんどの求婚者たちはみずから動こうともせず、手軽に姫の求めるものを得ようとしたのですから、やはり彼らは、そのときかぎりの気紛れで姫を求めた軽薄な男たちでしかなかったように見えてしまいます。
ユーモアをたっぷり交えて描かれるこうした男たちの顛末に関しては、作者の目は彼らにたいへん意地悪です。
最終章、雲に乗ってやってきた天人に迎えられてかぐや姫が月に帰っていくところの描写は、イメージ豊富に美しく、ファンタジーとして存分に楽しめる場面です。