第1章 異界にのぞむ 世界のどこかに

SHE : A HISTORY OF ADVENTURE by Henry Rider Haggard

洞窟の女王

H・R・ハガード


永遠の命を生きる
神秘の美女の
時間を越えた恋

アメナルタスの壺

妖女背の低い、ほとんどゴリラのような外見をした醜い青年、ルードヴィッヒ・ホレース・ホリーは、その醜さゆえにケンブケリッジ大学で孤独な学究生活を送っていた。
ある日彼は、死を予感して訪ねてきた大学でのただ一人の友人から、謎めいた遺言の言葉とともに、五才になる彼の息子と鉄の箱を預かった。
病がちだった年上の友人は、その夜自殺とも取れる謎の死を遂げた。
ホリーは、養育係として雇い入れた青年ジョブとともに、友人の子供レオ・ヴィンシーを育てることになったのだ。
 
二十年の歳月が流れ、レオ・ヴィンシィは“ギリシャ神”と称されるほどの飛び抜けて美しい青年に成長した。
そして、レオの二十五才の誕生日、彼らは友人の遺言によって二十年間封印されていた鉄の箱を開く。
そこに入っていた古代の壺の破片に記されていたのは、レオの祖先であるエジプト人カリクラテスの次のような不思議な物語であった。
紀元前の昔、カリクラテスとその妻アメナルテスは、リビアの海辺でさまよううちに不思議な不死の女王の国にたどり着き、そこで彼は女王の愛を拒んだために殺され、アメナルテスは追放されてしまったのである。
彼女は復讐を子孫に託すため、顛末(てんまつ)を記したこの壺を子孫に残したのであった。
レオの父親は、若かりし頃、この壺の謎を探るためアフリカへ探検に出かけ、美しい白人の女王の支配する国を見つけたというのである。

アフリカの不思議な母系社会

ホリーとレオとジョブの三人は、壺の謎を解くためにアフリカへ探検に出かけた。
しかし、三人の乗った船は中央アフリカの東海岸で嵐にあって難破してしまう。
彼らが流れ着いた先は、アラビア土語を話し、白人種を除いたさまざまな人種が入り混じったような、アマハッガー人と名乗る不思議な人々の国だった。
人間の手で掘り抜かれたらしい洞窟に住む人々は、女性が男女関係の主導権を握る母系社会に暮らしていた。

ここで彼らはアマハッガー族の習俗を知らなかったため、アマハッガー人と戦うことになり、レオは傷を負ってしまう。
しかし、間一髪、彼らは女王の命を受けた長老ビラリによって救われたのである。

洞窟の女王

古代コール人の築いた素晴らしい都の廃墟に囲まれた洞窟に、彼らの女王は住んでいた。
熱病にかかって動けないレオを残して、一人女王と対面したホリーは、その知恵と人間性を気に入られ、女王と親しく話をすることを許される。
そして、女王アッシャは、ホリーの願いを入れて、彼に素顔を見せてくれる。
アッシャは、その姿を見たものは必ずそのために身を滅ぼしてしまうというほどの圧倒的な美しさを持った、美の化身のような白人の女性であった。
もちろん、ホリーもまた彼女の美しさに捕われてしまう一人になるのだが、彼女は、自分の心は永遠にある一人の男のものだと言って彼の気持ちを拒む。

そうしている間にもレオの様態は悪化の一途をたどり、ホリーは女王にレオの治療を頼むことになる。
そしてレオの姿を見たアッシャは、彼を、二千年の間ひとときも忘れることなく恋慕って来たカリクラテスの生まれ変わりと断じたのであった。
アッシャこそ、この旅のきっかけとなった古代の壺に記されていた不思議な不死の女王だったのだ。
さまざまな難関を乗り越えて愛を燃え上がらせたレオとアッシャは、不死と永遠の若さを与える地球の根源である“生きた火焔”をともに浴びようとするのだが……。


たぐいまれな美貌と驚くべき英知

なんと言っても、不死の女王アッシャの魅力に圧倒されてしまいます。
彼女は、たぐいまれな美しさ、何ものにも縛られない驚くべき英知を備えた残酷で邪悪な女王です。
みずからの思いのままに簡単に人々を殺します。
私たちが家畜の形態を操るのと同様に、生命を造作もなく操って、好みのままに巨人を造り、召使として用立てるために聾唖(ろうあ)の人間たちを造ります。

そなたは、罪を犯せば悪の報いがあるというが、経験が足りぬゆえ、そのようなことがいえるのじゃ。罪が善をもたらし、善が悪を生むこともある。悪虐非道な暴君の怒りが、後世、多くの人々から祝福されることもあるし、聖者の愛に満ちた心が国民を奴隷にすることもある。人間は善(よ)かれと思い、あるいは悪(あ)しかれと思うて事を行う。けれども、それがどのような結果をもたらすかについては何も知らぬ、――中略――これが悪で、あれが善だとか、闇は憎むべきもので、光は愛すべきものというようなことを口にしてはならぬ。なぜなら、おのれの目に悪とうつるものが、他の人々の目には善とうつるかもしれぬし、闇が光よりも美しいかもしれず、あるいは、いずれも皆おなじであるかもしれぬからじゃ。

こうしてアッシャは、みずからの思いのままに奔放に生きているのです。
自分の属する社会の規範におのずと制約されて、画一的な考え方に縛られた二人の男に比べて、おのれの内部で長年にわたって自分の論理を作り上げてきたアッシャの何という強さ。
ホリーやレオのキリスト教的な堅苦しい道徳律と比較して、ついつい、女王の考え方に肩入れしたくなってしまいます。
二人の男もまた、アッシャの外見の美しさの前に屈服するという言い訳のもとに、結局は、アッシャの論理の前に屈服することになるのです。

雄々しい女たち

レオを愛してアッシャに殺されるアマハッガー人の女アステーンもまた、なかなかあっぱれな存在です。
圧倒的な力の前に屈することなく、堂々とアッシャに対してレオへの愛を論じて見せます。

アマハッガー人は、強大な女王アッシャが彼らを治めているせいもあってか、彼らの社会では女性が非常に強いのです。
彼らについてくるというアステーンについて、長老ビラリはホリーにこう言いました。

この国では、女はしたいようにするのだ、わしら男は女を崇拝しとるから、好きなようにさせておくのだ。何せ女がいなければ夜も日も明けぬでな。女は生命の源泉だよ

もっとも、女たちがあまりにも増長して手に負えなくなると、彼らは若い女への見せしめに年をとった女を殺し、男の強さを見せてやるというのですが……。
1884年という、この小説が書かれた時代に鑑みて、驚くべき女性論の小説と言えないこともない……かもしれません。

強烈な存在感の女たちの影に隠れて地味な存在でありますが、アマハッガー族の長老ビトリが、アマハッガー族の習俗の良い面を代表する形で、たいへん洒脱で好ましい人間に描かれていて、私は密かにファンをしています。


『洞窟の女王』 SHE : A HISTORY OF ADVENTURE by Henry Rider Haggard, Translated by Ookubo Yasuo  H・R・ハガード 著  大久保康雄 訳  1974年5月24日  創元文庫

トップへ 目次へ 前ページへ 次ページへ 索引へ