書籍データは持っている本のものです。現在最新のデータではありません。
『太字斜体』の見出しは書籍名、「太字」の見出しは単行本収録の作品名です。
「斜体」は引用です。
言葉に酔える歌の数々 |
唐突に『梁塵秘抄』と『閑吟集』が読みたくなって買ってきてしまった。『狂言歌謡』にはまだ目を通していません。(2000年2月現在)
心に染みるなぁって言葉がたくさんあるけど、誰か先人が拾い出したのをどこかで読んでいたものばっかり。
まだ、自分自身の歌を見つけるまでには至っていません。
『梁塵秘抄』には“ありがたや、ありがたや、仏様はありがたや”っていう歌が多くて、『閑吟集』の選者は無常観や厭世観の漂う歌が好きなのね……と、今のところ“蓼虫”は見ています。
仏は常に在(いま)せども、現(うつつ)ならぬぞあはれなる、人の音せぬ暁に、仄(ほの)かに夢に見え給ふ
──あまりにもポピュラー……かな?
仏も昔は人なりき、我等も終(つゐ)には仏なり、三身仏性(さむしんぶつしゃう)具せる身と、知らざりけるこそあはれなり
遊びをせんとや生まれけむ、戯(たはぶ)れせんとや生まれけん、遊ぶこどもの声(こゑ)聞けば、我が身さへこそ揺(ゆる)がるれ
──ポピュラーだけどとっても好き
烏は見る世に色黒し、鷺(さぎ)は年は経(ふ)れども猶(なを)白し、鴨(かも)の首をば短しとて継(つ)ぐものか、鶴の脚をば長しとて切るものか、
──そーのとおり。本性のままに生きよう!! 他者に迷惑をかけちゃいけないけど。
世間(よのなか)は ちろりと過(すぐ)る ちろりちろり
何せうぞ くすんで 一期(いちご)は夢よ たゞ狂へ
唯(ただ)人は情(なさ)けあれ 夢の夢の夢の 昨日(きのふ)は今日(けふ)の古(いにしへ) 今日(けふ)は明日(あす)の昔(むかし)
──言葉に酔ってしまう(^^ゞ いいなぁ。
花籠(はなかご)に月を入(いれ)て 漏らさじこれを 曇らさじと 持つが大事な
とっても趣味!!!!! |
肺を切り取ることによって癌から生還したヤクザの“藤堂”の車の上に落ちてきた記憶喪失の美少年には、全身に精緻な入れ墨と焼き鏝の跡があった……。
『黒い季節』は、我々の日常にある“表の世界”と“裏の世界”、これに超自然現象が支配する“闇の世界”を絡めて、それぞれの世界の秩序と混沌の戦いを、陰陽道の論理を借りて描く傑作ファンタジーです。
身の内から弾ける破壊の衝動と哀切な残虐。
・・喰え! 母の肉と骨で出来た檻を食い破れ!
・・喰え! 父の顔をした獣たちを食い殺せ! ・・喰え! 僕を滞める僕を食い千切れ! ・・屠り、喰い、啜れ!
う〜〜ん、心の内に飼っている、どこへ向けて放ったらよいかわからない凶暴な獣が目覚めてしまいそう。
趣味であり過ぎてハマり過ぎてしまって、最初に読んだときは頭があちらの世界へいってしまい、現実生活で頭を正常に保っているのに、いささか苦労してしまった。
テーマ、キャラクター、エピソードなど、これだけ好みにぴったりの小説というのは久しぶり。
まったく没頭し切って読み上げてしまった。こう趣味にあった小説に出合えると、幸せな気分のままでしばらく暮らせる。う、嬉しい。
このまま、作者の魂の飢えや身の内の叫びが消えることなく燃え続けてくれると、“蓼虫”としてはとても嬉しい……と、たぶんこの小説の魅力はそのあたりに源があるのではないかと勝手に深読みしている私は思っております。
──という文章を刊行のすぐ後に読了して書いたのだけど……、次作が読みたい!!!!!
おんなじ人間じゃなかったんだろうなぁ…… |
それぞれ頑固に自分の生きかたを貫こうとする“牛”と呼ばれる3人の男の人生を空海に絡めて、平安遷都から平安前期にかけての時代を庶民の視点から描こうとした作品。
ちょっと時代はずれるけど、『源氏物語』の裏面史といったところかな?
懇切丁寧な時代解説がちょっとカッタルイけど、そこのところをすっとばして(ごめんなさい!!)人間ドラマを追っていくとおもしろい。
もっとも、幻術を操る不老不死の行者とか、生きた蛇を実際に食してしまう夜叉神像といった超常現象を当然の出来事として描いている作品に、“日本庶民通史”なんて一見学術的にみえる副題を付けてしまうのはちょっとどうかなぁとも思う。
それにしても……、“紫式部”や“清少納言”に“牛”たちが、「オレたちだっておんなじ人間なのに!!」と叫んでも、通じないだろうなぁ。
きょとんとしちゃうかも。
多分、同じ人間だなんて思ってないよ。
召し使っている人間が重い病気になると、路傍に捨ててしまって、餓死しようが生きながら犬に食われようが、それが当然とみんな(捨てられるほうさえも)が思っていたような時代なんだから(--;)
なかなか幸せな気分になれます |
『澁澤龍彦の少年世界』は、戦前の裕福でリベラルな家庭に育った、幸せなお坊ちゃんの物語。
読んでいてこちらも幸せな気分になれるのは、著者の、兄“澁澤龍彦”に寄せる愛情と信頼、そして、「『オレってノルマルだなあ。嫌になっちゃうほどノルマルだなぁ』と言ってケラケラ笑っていた」という、“澁澤龍彦”のひねくれたところのない素直な性格の由か?
同じ時代を“澁澤龍彦”自身が書いた『狐のだんぶくろ』と合わせて読むと、"澁澤龍彦”がどういうふうに自分を読者に対して演出して見せたかったのかという、その虚実がほの見える気がして、いっそう興が募る。
家出から帰ってきたにいちゃんは“女”になっていた |
思い込みの強い両親のもとで良い子を演じ続けることに疲れてしまった僕……。
家出から帰って来たにいちゃんは“女”になっていた──というお話。
児童書だけど、変に説教臭くもならず、主人公の醜い面もきちんと描いて、後味もいい。
“蓼虫”は気に入った。