ドラゴン、セントール、人喰い鬼。
さやからミルクの取れる“ミルク草”、毛布の取れる“毛布の木”、雨が降ると天葢(てんがい)を広げる“傘の木”に、その反対の“日除けの木”。
その実を投げると爆発する“サクランボ爆弾”、ボクシングをする“シャドーボクシング草”、わんわん吠える“イヌウイキョウ草”。
魔法の国ザンスは、さまざまな魔法的な生き物の世界である。
ザンスの住民はすべて魔法の力を一つずつ持っていて、ドオアの魔法の力は生命のないものと話をする力である。
これは、ザンスのなかでも珍しい魔法使い級の力と見做されていて、彼は将来王位を継ぐと目されている。
ザンスの王位は世襲ではなく、その時代の魔法使い級の力を持つもののなかから、その地位にふさわしいと長老会議が認めたものが王になるのである。
十二才になったドオアは、生まれてからずっと彼の乳母をしていた元幽霊のミリーへの恋に悩んでいた。
八世紀前、まだルーグナ城ができたばかりの頃、十七才の召使いの姿で魔法をかけられ幽霊となったミリーは、ドオアが生まれた年に魔法を解かれて生き返ったのだ。
彼女の魔法の力は性的魅力。
そして、ドオアにとっては不本意なことに、ミリーは長い幽霊時代をずっとともに過ごしたゾンビーのジョナサンを愛している。
ドオアにとっての悩みの種はそれだけではない。
同じ年頃の男の子たちの間ではドオアはいじめられっ子だ。
将来結婚することを期待されている、現王トレントの娘イレーヌとの仲もうまくいっていない。
ドオアのよき話し相手であり、彼が信頼を寄せている数少ないおとなのひとりであるトレント王は、ドオアには魔法の力を的確に使うだけの経験と不屈の精神が必要なのだと助言する。
そうした経験をつむべく、トレント王は、ドオアにゾンビーのジョナサンを生き返らせるための探索の旅を命じたのであった。
人付き合いの嫌いな、よき魔法使いハンフリーの助けを得て、ドオアはゾンビーの頭(かしら)と呼ばれる魔法使いに会うために、八世紀前のザンス──、第四次移住時代と呼ばれる過去へと旅立つことになった。
ドオアは、ザンスへの侵略者であるマンダニア人の戦士の身体を借りることによって、その時代へ入り込むことになった。
しかし、そこに着いた途端、彼は巨大な怪物グモとゴブリンの群れに出くわしてしまった。
こどもの身体のままだったなら、ドオアには為す術(すべ)もなかったかもしれない。
しかしドオアが借りた身体は、剣を扱い慣れた、筋骨逞しい若い男のものだった。
まさに、ドオアがそうなりたいと思っていたとおりのおとなの男の身体である。
怪物グモと協力してゴブリンを倒したドオアは、クモの巣の助けを借りて怪物グモと話をする。
彼ははえとりぐも一族の跳躍ぐも、“斑入りのファイディパス”、通称“ジャンパー”。
中年の雄のクモである。
どうやら、ドオアがこの世界に入り込むときに、誤って一緒に連れて来てしまったらしい……。
本来ならば小さな小さなクモなのだが、この世界への変換が部分的にしか働かなかったために巨大なクモになってしまったようである。
ドオアが元の世界に帰るとき一緒に帰るため、ドオアとクモのジャンパーは、一緒にこの世界を旅することになった。
古代最大の魔法使いルーグナ王に会って力を借りるため、ルーグナ城へと向かう途中、二人は娘時代のミリーと出会う。
この時代のその年頃のミリーの相手として、ちょうどふさわしい年齢の身体を持ったドオアだが、心はまだまだこどものままである。
対応の仕方にとまどいながら、ドオアはミリーを旅の仲間に加えたのであった。
彼らの行く手には、ハーピーとゴブリンの争い、魔法使いマーフィとルーグナの王位争い、そして、侵略者マンダニア人との戦いと、たくさんの危険が待ち構えている……。
実は、魔法の国ザンスは、私たちの世界のすぐ隣にあるのです。
ザンスでは私たちの世界のことをマンダニアと呼んでいて、野蛮で奇妙な世界だと思っています。
かつては、私たちの世界とザンスとは自由に往き来ができました。
けれどもそれは、野蛮で残酷な侵略の時代でした。
私たちの世界がザンスを侵略したのです。
マンダニア人──私たちの世界の人間です──はザンスに侵入し、殺し、盗み、破壊し、すべてを荒廃させたあげく、ザンスに落ち着き、そのこどもたちが魔法の力を持つようになって、彼らは新しいザンスの人間になりました。
そして、ザンスの人間となった彼らは、次の移住時代には再び、魔法の力のないマンダニア人の侵略を、今度はザンスの人間として甘受しなければならなかったのです。
それがザンスとマンダニアの間に繰り返された歴史です。
そうした繰り返しを防ぐため、ザンスとマンダニアの境には、後(のち)に魔法のシールドが張られました。
魔法のシールドに守られたザンスを、私たちはもう見つけることはできません。
おとなの英知と落ち着きで、ドオアを大いに助けてくれるクモのジャンパーが素敵です。
物語を読み進んでいくうちに、ドオアと同様ジャンパーが大好きになってしまった読者は、最後にジャンパーの寿命が、私たちとは違ってとても短いという事実に直面し、悲しい思いを味あわなければなりません。
おとなになるということは、たくさんの苦い思いを我慢して、乗り越える術(すべ)を知るということだと、作者は言っているようです。
そうやって立派なおとなになることが、ザンスの立派な王になるということでもあるのです。
ミリーのためにゾンビーのジョナサンを生き返らせるという、当初の旅の目的も、そこに待ち構えているのは、失恋という、ドオアにとってはあまりありがたくない事態というわけです。
そうはいっても、これは別に、堅苦しいお説教の話ではありません。
《魔法の国ザンス》のシリーズは、そもそもが語呂合わせの魔法で成り立っているような奇妙な世界の楽しいお話なのです。腐肉を巻き散らしながら歩くゾンビーも、ザンスでは恐怖の対象ではなく、同じ世界に生きる(?)仲間です。
人間を襲い、ときには食べてしまうドラゴンも、特に忌避されたり、倒さなければならない存在というわけではありません。
蛇の髪を持ち、顔を見た相手を石に変えてしまうゴルゴンは、まじないの力で顔を隠して、ハンフリーの城で女中の仕事をしながら、ハンフリーが結婚してくれるかどうかの答えを待っています。
年老いたノームそっくりの魔法使いハンフリーと、恐ろしい力を秘めたゴルゴンが、靴下を履く前に足を洗った、洗わなかったと言い争っているところなど、なかなか楽しい情景です。
《魔法の国ザンス》のシリーズは、一冊ごとがそれぞれ楽しい探索の旅の物語になっています。
アメリカではもう、随分たくさん刊行されているようですが、翻訳がなかなか間に合わなくて、新刊が出るのが待ち遠しい限りです。
これだけの語呂合わせのお遊びをちゃんと翻訳していくのはなまなかのものではないのでしょう。
主人公は毎回同じというわけではなく、ドオアの父親ビンク、人喰鬼のこどもメリメリ、夢馬のインブリ、ドオアの娘アイビィなどが、それぞれ主人公を務めます。
全巻に共通するのは、まだ本当の自分の姿を知らないおとなになりかけの主人公が、物語のなかで成長し、自分を発見し、それぞれのおとなになっていく姿を描いている点です。
私のお気に入りは、今回ご紹介した『第3巻・ルーグナ城の秘密』と、
『第1巻・カメレオンの呪文』です。
登場人物では、その魔法の力のゆえに孤独な生を強いられているゾンビーの頭(かしら)が素敵です。
彼がだんだん幸せになっていく姿を見て、こちらまでなんだか幸せな気分になってしまいます。